カスティリア王国(読み)カスティリアおうこく(その他表記)Kingdom of Castile

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「カスティリア王国」の意味・わかりやすい解説

カスティリア王国
カスティリアおうこく
Kingdom of Castile

イベリア半島のほぼ中央を占めるスペインの中世王国。北部のカスティリアラビエハ(旧カスティリア),南部のカスティリアラヌエバ(新カスティリア)からなる(→カスティリア)。カスティリアラビエハは初めレオン王国に属し,イスラム勢力(ムーア人)との国境沿いに城塞,すなわちスペイン語でカスティリョが多くあったところからカスティリアと呼ばれた。10世紀前半頃より強力に国土回復運動を進めたフェルナン・ゴンサレスの時代にブルゴスを都とするカスティリア伯領として実質的にレオン王国から独立した。11世紀にはドーロ川に達したが,1029年サンチョ3世によりナバラ王国併合された。1035年のサンチョ3世の死後,息子のフェルナンド1世はカスティリア王国を建国し,レオン王国をも併合した。1085年アルフォンソ6世はムーア人の中心都市の一つトレドを征服し,12世紀中葉にはスペインにおけるカスティリアの政治的優位が確立した。1212年,ラス・ナバス・デ・トロサの戦いでキリスト教諸国は決定的な勝利を収め,フェルナンド3世は最終的にレオン王国を併合,さらにムーア人からコルドバ(1236),セビリア(1238),カディス(1262)を攻略し,アンダルシアの大半を征服した。しかし,グラナダ王国を残して国土回復運動が一応終了すると,王権に対抗して貴族勢力の伸長がみられ,ペドロ1世専制はカスティリアを政治的無秩序に陥れた。1369年トラスタマラ家のエンリケ2世がカスティリア王として即位した。同王フアン2世の娘イサベル(→イサベル1世)はアラゴン王子フェルナンド(→フェルナンド2世)と結婚,1479年カスティリア王国とアラゴン王国は合併し,スペインの統一が成立した。1515年スペイン側のナバラ王国をも併合し,近代スペインが形成された。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

今日のキーワード

カイロス

宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が開発を進めるイプシロンSよりもさらに小さい。スペースワンは契約から打ち上げまでの期間で世界最短を...

カイロスの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android