カタール
ペルシャ湾に突き出した半島国。大部分は平たんな砂漠地帯。人口は約293万人でアラブ人40%。労働力はインド人など外国人に依存する。公用語はアラビア語。イスラム教が約65%で、うち9割がスンニ派。君主制で、現首長は2013年即位のタミム首長。豊富な石油や天然ガスに歳入を依存し、日本への液化天然ガス(LNG)の主要供給国。政府などが設立した衛星テレビ局アルジャジーラが知られる。仲介外交に力を入れ、米軍基地もある。(ドーハ共同)
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カタール
- ( Qatar ) アラビア半島の東部、ペルシア湾に面する首長国。第一次大戦後イギリスの保護領となり、一九七一年独立。正称カタール国。首都ドーハ。石油の産出国。
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カタール(国)
かたーる
State of Qatar 英語
Doula al-Qatāra アラビア語
アラビア半島からペルシア湾(アラビア湾)の中央に突出したカタール半島のほぼ全域を占める国。正式名称はカタール国Doula al-Qatāra。面積は1万1586平方キロメートル、人口93万6000(2006推計)、165万(2009カタール統計庁)。首都ドーハに38万4000(2007推計)が集中する。公用語はアラビア語。
地形は大部分が平坦(へいたん)で不毛な砂漠地帯である。地下水は少なく、また飲料水や農業水に適さないため海水淡水化装置で水を得ている。気候は夏期には砂漠地特有の乾燥酷暑が続く。また三方を海で囲まれ、高い湿度を伴うことがある。住民はアラブ人のスンニー派イスラム教徒である。オイル・ブームによって近隣アラブ諸国やイラン、インドなどから外国人労働者が大量に流入し、現在では4分の3近くが非カタール人である。経済開発が一段落した最近では外国人単純労働者の流入を規制する方向にある。18世紀にアル・ハリーファ人がアラビア半島より移住し、19世紀前半に現首長のサーニー家が支配権を確立した。1916年イギリスと保護協定を結び、1971年に独立するまで実質的にイギリスの支配下にあった。政体は世襲君主制の首長国で、建国以来サーニー家が首長を継いでいる。2003年に三権分立を定めた憲法を18歳以上の男女による国民信任投票で採択し、2005年に発効した。議会として首長が指命する35名の議員からなる諮問評議会があるが、立法権はない。現首長はハマド・ビン・ハリファ・アル・サーニーである。
経済構造は圧倒的に石油、天然ガスに依存し、国民総生産(GNP)の約80%、輸出額や政府歳入の90%以上を占める。石油生産は1939年カタール半島西部にドゥハーン油田が発見されたことに始まった。1960年代にはペルシア湾沖合いにイド・エル・シャルギ、マイダム・アザム、ブル・ハニネの3油田が相次いで発見され、生産が本格化し、真珠採取業、漁業、遊牧に頼った伝統社会は急変した。石油は陸上が1976年、海上が1977年に完全に国有化された。また、世界最大級のノース・フィールド天然ガス田の開発が、国家的最優先事業と位置づけられ、推進されている。
2007年の石油確認埋蔵量は約274億バレル(世界の総埋蔵量の2.2%)で、生産量は日産約120万バレルである。天然ガスの確認埋蔵量は約25.6兆立方メートル(世界の総埋蔵量の14.4%)で、年間生産量は59億8000万立方メートルとなっている。2008年には、ロシア、イラン、カタールなど天然ガス輸出国11か国によりガス輸出国機構が発足し、カタールに事務局が置かれた。
2007年の国内総生産(GDP)は約733億ドル、国民1人当りでは7万8754ドルで、経済成長率は15.9%に達している。政府は石油偏重政策を是正し、産業構造の多様化を試みている。ドーハの南にあるウム・サイドには製鉄、化学肥料、天然ガス処理、石油化学などの大規模工場が建設された。漁業は、冷凍・缶詰処理設備をもつ国営カタール漁業会社がエビ漁を中心に操業している。農業も近年急成長し、トマト、キュウリなど野菜類は自給化に成功し、余剰を湾岸諸国に輸出するまでになった。2007年の輸出額は414億9000万ドル、輸入額は220億500万ドルとなっている。おもな輸出品目は石油、天然ガス、石油化学製品など、おもな輸入品目は機械類、鉄鋼、自動車などの輸送機器である。おもな輸出相手国は日本、韓国、シンガポールなど、おもな輸入相手国はアメリカ、イタリア、日本などである。
日本への輸出額は169億4200万ドル、輸入額は18億4200万ドルで、日本の大幅な輸入超過が続いており、1999年の額に比べて輸出額は約5倍、輸入額は約8倍に増加している。おもな輸出品目は石油、液化天然ガスで、輸入品目は自動車などの車両、鉄鋼、機械などである。
カタールの教育制度は小学校6年、中学校3年、高等学校3年、大学4年の6・3・3・4制で、義務教育は高等学校までである。
[原 隆一・吉田雄介]
カタール(単位)
かたーる
katal
酵素などの触媒活性を表す国際単位系の単位。1秒につき1モルの基質の化学反応を促進する触媒活性を1カタールといい、katで表す。1999年の国際度量衡総会で採用された。国際単位系ではない触媒活性の単位として、医学、生物化学などの分野で用いられるユニットがあり、1カタール=6×107ユニットである。
[編集部 2023年2月16日]
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カタール(国)【カタール】
◎正式名称−カタール国Dawla al-Qatar/State of Qatar。◎面積−1万1571km2。◎人口−170万人(2010)。◎首都−ドーハDoha(52万人,2010)。◎住民−アラブが大部分,ほかにイラン人,インド人など。◎宗教−イスラムが国教(ワッハーブ派が大部分,ほかにシーア派)。◎言語−アラビア語(公用語)。◎通貨−カタール・リヤールQatar Riyal。◎元首−首長,タミーム(2013年6月即位)。◎首相−シェイク・アブドゥラ・ビン・ナーセル・ビン・ハリーファ・アール・サーニ。◎憲法−1970年7月暫定憲法発効,2003年4月国民投票で新憲法承認。◎国会−なし。諮問会議(定員45。うち15名は首長が任命,30名は直接選挙制)がある。政党なし。◎GDP−425億ドル(2007)。◎1人当りGDP−4万6362ドル(2006)。◎農林・漁業就業者比率−2%(1997)。◎平均寿命−男77.8歳,女79.5歳(2013)。◎乳児死亡率−7‰(2010)。◎識字率−94.7%(2009)。 * *アラビア半島東部,ペルシア湾に突出する半島を占める首長国。土地は乾燥し,砂漠が広く分布しており,石油が国家の主要財源となっている。 当時の首長サーニー家は18世紀前半にアラビア半島中央部から移ってきたといわれる。1871年からオスマン帝国に支配されたが,1916年英国と協定を結んでその保護下に入った。1968年英国軍のスエズ以東撤退が発表されたのを契機に,1971年独立した。1972年アフマド首長が国政に熱心ではないとして,いとこのハリーファ副首長が無血クーデタで政権を奪った。1995年ハマド皇太子が,外交政策をめぐって対立がうわさされていた父のハリーファ首長を追放し,実権を握った。ハマド首長は穏健な民主化・自由化を進め,2003年には三権分立を定めた恒久基本法(憲法)を国民の信託投票で採択した。議会は首長の指名する諮問評議会だが,将来的には一定の立法権を有する評議会とすることが目指されている。衛星テレビ局アルジャジーラ(1996年開局)がドーハにある。2006年12月,中近東で初めてのアジア競技大会(第15回)を首都ドーハで開催した(2022年にはFIFAワールドカップ開催予定)。ハマド首長の主導する民主化・自由化と,地域・国際間の仲介努力と紛争の平和的解決のための協調外交,豊富な資源収入などによって政治は安定している。2014年の対IS空爆に参加していないものの,ISはモロッコとクウェート,オマーンとともにカタールを名指しし,燃料の補給や基地の提供などで空爆を支援していると批判,今後ISがテロ対象とする可能性がある。外国人労働者に大きく依存している雇用体制が課題で,政府はホワイトカラーの自国民育成を掲げている。
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知恵蔵
「カタール」の解説
カタール
アラビア半島中東部、ペルシャ湾に突き出たカタール半島の大部分を占める首長国。首都は、近代都市のドーハ。国土面積は1万1427平方キロメートルで、秋田県ほどに過ぎない。人口は約267万人(2017年4月)。このうちアラブ系のカタール人は2割以下で、南アジアやイランからの出稼ぎ労働者が多くを占めている。国民の大半は、イスラム教スンニ派。公用語はアラビア語で、歴史的にイギリスとの関係が深いことから、第2公用語に英語を採用している。教育・医療・福祉の水準は高く、国民所得は世界トップレベル。経済は、世界第3位の推定埋蔵量を誇る天然ガスと石油の輸出に依存してきたが、近年は観光業や金融業など、新たな産業の育成に力を入れている。また、中東の国としては初めてFIFAワールドカップ(22年開催)の誘致にも成功した。
18世紀、アラビア半島からタミーム部族が移住してきたのが、アラブ系イスラム教国としての歴史の始まりである。当初、ハリファ家がカタールとバーレーン一帯を支配していたが、19世紀半ば、現在の首長家であるサーニー家がハリファ家に代わり勢力を拡大した。更にサーニー家は、1868年にイギリスと協定を結び、カタール半島の支配権を確立した。なお、バーレーンの支配権はハリファ家が継続し、現在に至っている。その後カタールはオスマン・トルコの支配を受けたが、1913年にイギリスの働きかけで主権を回復し、3年後イギリスの保護下に入った。
71年、イギリスがスエズ以東からの撤退を表明すると、湾岸地域では九つの首長国による連邦国家結成の動きが起こった。協議の結果、アブダビとドバイを中心とする7カ国がアラブ首長国連邦(UAE)を結成したが、カタールは加わらず、バーレーンと共に単独で独立した。独立後の政情は不安定で、無血クーデターによる政権交代が繰り返された。しかし、サーニー家世襲による首長制は揺らぐことなく、95年にハマド・ビン・サーニーが首長になると政情は安定した。
開明派のハマドは新たな天然ガス田の開発を進めながら、行政の効率化、経済の多角化などに務めた。96年には、衛星テレビ局アルジャジーラを設立。99年には湾岸諸国で初めて女性の参政権を認め、2003年には三権分立を定めた憲法も制定した。外交は対米重視で、米空軍の駐留を認める一方、イランやトルコとも友好関係を保つなど、全方位外交を展開してきた。13年、ハマドは四男タミムへの譲位を発表。タミムは33歳の若さで、カタール8代目の首長に即位した。
カタール
医学や生化学の分野では生体内反応の促進にあずかる酵素の活性を示す単位として、モル毎秒(mol/s)が使われている。人間の健康や安全を図る上で、これらの分野においても共通の使いやすい単位として、モル毎秒を示す「カタール(kat)」を、固有の名称をもつ国際単位系(SI)の組立単位に仲間入りさせることが、1999年の第21回国際度量衡総会で決定された。
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カタール
Qatar
正式名称 カタール国 Dawlat Qaṭar。
面積 1万1627km2。
人口 250万5000(2021推計)。
首都 ドーハ。
アラビア半島でペルシア湾に面する首長国。 1971年独立し,アラビア半島からペルシア湾へ 200kmほど真北に突出した半島国で,東西の最大幅は約 90kmである。岩が多い砂漠地帯で,乾燥気候下にあり,年降水量は 100mmである。カタールの名は 10世紀のアラブの文献に初めて記録されている。最終的には独立のバーレーン国の支配者となった部族が,18世紀にアラビア半島からカタールの北西部に侵入し,やがてバーレーン島に移った経過があり,バーレーンの首長とカタールにおける名目上の臣下との間で北西部領有上の紛争となった。 1867年戦争となり,ドーハの町は破壊された。イギリスがこれに介入し,1868年カタールの貴族を首長に据えた。オスマン帝国との争いの末,1916年以来イギリスの保護首長国となった。 1940年に石油が発見されて発展の契機をつかんだ。中東の四大産油国に次ぐ石油生産国となり,現在のカタールは近代的な道路,ホテル,政庁舎,テレビ放送網をもち,化学肥料,セメントなどの工業もある。住民はカタール人,カタール人以外のアラブ人,南アジア系,イラン人などである。また,言語はアラビア語のほか広く英語が用いられる。首都ドーハには国際空港もある。住民の大部分がアラブ系。公用語はアラビア語。住民の 90%はスンニー派イスラム教徒。
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カタール【katal】
酵素活性の国際単位。記号は「kat」。1秒につき1molの基質の化学反応を促進する酵素活性を表す。1999年にSI単位系に導入された。
出典 講談社単位名がわかる辞典について 情報
世界大百科事典(旧版)内のカタールの言及
【カタル】より
…正式名称=カタル国Dawla al‐Qaṭar∥State of Qatar面積=1万1427km2人口(1996)=59万人首都=ドーハDoha(日本との時差=-6時間)主要言語=アラビア語通貨=カタル・リヤルQatar Riyalアラビア半島から北へ向かってペルシア湾に突出した半島を国土とする国。カタールともよばれる。
[自然,住民]
半島の長さ約160km,最大幅約85km。…
※「カタール」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」