改訂新版 世界大百科事典 「カピタニア制」の意味・わかりやすい解説
カピタニア制 (カピタニアせい)
ポルトガルの海上進出期およびブラジルの植民地時代に存在した開拓,入植,統治のための制度で,行政単位ともなる。15世紀に発見された大西洋のマデイラ,アゾレス,カボ・ベルデ諸島などにまず適用され,ブラジル発見(1500)の後は,1504年フェルナンド・ノロニャにサン・ジョアン島を与えたのが最初の例である。34年から36年にかけて,ブラジル植民地は15の世襲カピタニアcapitaniaに分割され,12人のドナタリオdonatárioまたはゴベルナドールgovernadorと呼ばれる世襲領主に与えられた。領主は,領域内で王権を背景に民事および刑事裁判権をもち,法律を制定し,海岸と可航河川沿いに町vilaを建設し,聴訴官ouvidor,公証人,司法職員を任命する権利をもち,王の土地を入植者に無料分譲(セズマリアsesmaria)する義務を負った。また,領主は,自己の私有地として,海岸に面する間口10レグア(約60km)の土地を確保することができ,その土地は十分の一税を免除され,さらに,領域内で徴収される十分の一税の10%,ブラジル材の代金の5%,すべての手数料と五分の一税の10%,水車使用料,海塩代金,公証人事務所家賃,渡し船収入などの全額,輸出税の1%を所得として与えられた。これらの世襲カピタニアは,バイア(1548)を皮切りに,次々に王室に買収されるか,没収されて,1779年までに,すべて王領カピタニアとなった。カピタニアは,独立後の県provincia,共和革命(1889)後の州estadoの母体となった。
執筆者:山田 睦男
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報