カメハメハ大王(英語表記)Kamehameha Nui

改訂新版 世界大百科事典 「カメハメハ大王」の意味・わかりやすい解説

カメハメハ[大王]
Kamehameha Nui
生没年:1758-1819

ハワイ王国カメハメハ王朝の始祖。ハワイ島のコハラ酋長の家系に生まれ,同島とマウイ島のハナ地方を支配する大酋長で伯父に当たるカラニオプウ庇護のもとに育った。1778年キャプテン・クックがヨーロッパ人として初めてハワイ諸島に来航したおり,カラニオプウに随行してクックに会っている。82年のカラニオプウの死後,内戦状態となったハワイ島を90年までに平定し,さらに遠征の兵を他の島々に送り,95年までにマウイ,カホオラウェ,ラナイ,モロカイ,オアフの各島を征服した。北のカウアイ,ニイハウの両島が服属し,ハワイ諸島の統一が完成するのは1810年のことであるが,通常1795年をカメハメハ王朝成立の年とする。カメハメハがハワイ諸島の統一に成功したことの陰には,ジョン・ヤング,アイザック・デービスという2人のイギリス人の助力と,フェア・アメリカン号という砲装をした洋式帆船の力があった。王国の統治に当たってカメハメハは知事職制をとり,配下の勲功のあった酋長やヤングのような信頼できる外国人をこれに任じて各島の政治をゆだねる一方,自身はその上に絶対君主として君臨した。来航する外国船から港湾税を徴収し,当時のハワイの重要産物である白檀(びやくだん)の貿易を政府の独占とすることなどによって財源を確保し,王国の基礎確立につとめた。欧米文明を積極的に導入する一方,宗教と日常的な生活慣習に関しては頑固なまでに伝統主義者であり,カメハメハの治世は,文明化へ向けて始動しつつも,なお伝統文化が生活を支配した時代であった。
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世界大百科事典(旧版)内のカメハメハ大王の言及

【ハワイ王国】より

…19世紀にハワイ諸島を統一したカメハメハ王朝のこと。ポリネシア人は何千kmもの海を渡ってハワイに移住したが,その第1波は750年ごろマルキーズ(マルケサス)諸島から,第2波はタヒチ島からの大移動で13世紀ごろであった。…

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