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クック Cook, Donald

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

クック
Cook, Donald

[生]1901
[没]1961
アメリカの俳優。ボードビルを経て,洗練された喜劇俳優として活躍。代表作『パリ行き』 Paris Bound (1927) など。

クック
Cook, James

[生]1728.10.27. ヨークシャー,マートンインクリーブランド
[没]1779.2.14. ハワイ,ケアラケクア湾岸
イギリスの探検家。通称キャプテン・クック。貧しい家に生れ若年にして船乗りになる。 1755年海軍に入り,68年ロイヤル・ソサエティが企てた金星観測のための太平洋探検の際,『エンデバー・バーク』号の艦長となり第1回航海に出発。タヒチの北の群島をロイヤル・ソサエティにちなんでソシエテ諸島と命名。ニュージーランドに向ってクック海峡を見出し,イギリスオーストラリア領有を宣言。インド洋を経て帰国 (1771) し,西回りの世界周航を成就。次いで 72年の第2回航海では南緯 71°10′まで南極圏を航海し,ニューカレドニア島ノーフォーク島など多数の島々を見出して帰国 (75) 。南極大陸について明らかにした功績により大佐に昇進し,ロイヤル・ソサエティからメダルを授けられた。 76年の第3回航海では,北アメリカ太平洋岸の探検を目的とし,クック諸島クリスマス島,サンドウィッチ (ハワイ) 諸島を見出し,ベーリング海峡から北極海に入り,北緯 70°44′まで達したが,帰途ハワイで先住民との紛争に巻込まれ,非業の最期をとげた。

クック
Cooke, Jay

[生]1821.8.10. オハイオ,サンダスキ
[没]1905.2.18. ペンシルバニア,オゴンツ
アメリカの金融業者。南北戦争の際北軍の戦費調達に活躍。 1861年フィラデルフィアに銀行を開業,ペンシルバニア州のために 300万ドルの戦時ローンを発行。 62年連邦財務省の特別代理人として5億ドルの債券の売却に従事し,65年には8億 3000万ドルの銀行券を売払った。戦後 70年にはノーザン・パシフィック鉄道建設に融資を企てたが,73年の金融恐慌の襲来により失敗。 80年までに借財を返済し再び財産を築いた。

クック
Cooke, Rose

[生]1827
[没]1892
アメリカの女流作家,詩人。旧姓 Terry。ニューイングランドの田園生活を扱った地方色豊かな作品が多い。短編集に『幸福なドッド』 Happy Dodd (1878) ,『ニューイングランドの山で集めたハックルベリー』 Huckleberries Gathered from New England Hills (91) 。

クック
Coke, Sir Edward

[生]1552.2.1. マイルハム
[没]1634.9.3. ストークポージェンス
イギリスの法律家。コークとも呼ばれる。法務長官,民訴裁判所や王座裁判所の首席裁判官を歴任。コモン・ローの解釈をめぐって,王権神授説に立ち解釈権を主張するジェームズ1世と対立し,法律家・司法権の独立を唱え続けた。 1621年下院議員になったが国事犯として9ヵ月間投獄され,以後,下院において国王反対派の指導者として活躍する。権利請願の起草者でもあり,彼の王権との闘争史はアメリカ合衆国憲法にも影響を与えた。王権との闘争の間にベーコンエルズミアらと激しく対立したことは有名である。

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デジタル大辞泉の解説

クック(cook)

コック」に同じ。

クック(James Cook)

[1728~1779]英国軍人・探検家。通称キャプテン=クック。1768年からの3回の世界周航で、太平洋東回り航路を開拓し、英国の太平洋方面進出の基礎を築く。諸島の発見・確認など地理上の功績が多い。

クック(Kuk)

パプアニューギニア、ニューギニア島中東部、高地地方にある農業遺跡。マウントハーゲンの北東約20キロメートル、標高約1650メートルに位置する。約1万年前よりタロイモやバナナなどが栽培された形跡があり、世界最古の農業遺跡の一つとされる。また、現在までの農業の変遷をたどることができる稀有(けう)な例として知られ、2008年に「クックの初期農業遺跡」の名称で世界遺産(文化遺産)に登録された。

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百科事典マイペディアの解説

クック

英国の法律家。法務長官,民訴裁判所・王座裁判所の首席裁判官を歴任。コモン・ロー(普通法)擁護の立場から国王大権と争い,裁判官を免職させられてからは下院議員(1621年―1629年)となり,1628年権利請願を起草して,後のピューリタン革命に大きな影響を与えた。
→関連項目マグナ・カルタ

クック

英国の探検家,航海者。通称キャプテン・クック。1768年―1771年第1回の太平洋航海を行い,タヒチ島で金星の食を観察した後,太平洋を踏査。ニュージーランドに向かい,クック海峡に至った。
→関連項目オーストラリアカウアイ[島]クック海峡クック諸島クリスマス[島]サウス・サンドウィッチ[諸島]サウス・ジョージア[島]ジョイデス・レゾリューションソシエテ[諸島]南極大陸ニウエノーフォーク[島]バンクーバー

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世界大百科事典 第2版の解説

クック【Edward Coke】

1552‐1634
イギリスの法律家,政治家。1578年弁護士となり,89年に下院議員に当選,92‐94年法務次官,93年下院議長,94‐1606年法務長官と重職を歴任。このころまでのクックは,国王大権の強い支持者としてカトリック教徒や政治犯に厳しく対処していた。1606年に人民訴訟裁判所首席裁判官に任ぜられると(1613まで),コモン・ローの至上性の強い主張者となり,以後国王,宗教裁判所,衡平法裁判所など国王大権および非コモン・ロー裁判所に対して,コモン・ロー,コモン・ロー裁判所の優位を主張し続ける。

クック【James Cook】

1728‐79
イギリスの探検航海者。太平洋の地理的全貌は彼によってほぼ明らかにされた。通称キャプテン・クック。ヨークシャーに生まれ,1746年に見習水夫となったのち,55年に海軍に身を投じた。63‐67年,ニューファンドランド島の沿岸測量に従事し,その成果によって海軍軍人としてのみならず,科学者としての高い評価をえた。その後,ローヤル・ソサエティの要請により3回にわたって太平洋の探検航海を試みた。第1回航海(1768‐71)では,タヒチ島で金星の太陽面通過を観測したのち,ニュージーランドの沿岸を測量し,またオーストラリア東岸を〈発見〉した。

クック【Jay Cooke】

1821‐1905
アメリカの金融業者,鉄道業者。オハイオ州生れ。1839年から銀行に勤務し,61年ジェー・クック商会を設立した。サーモン・チェース財務長官と交際があったことから,南北戦争の戦費のための政府債の発行業務の任に当たり,それに成功して財と名声をえた。戦後,有力金融業者としてノーザン・パシフィック鉄道の建設に乗り出したが,73年破産し,これが73年恐慌の発端となった。のち,ユタ州における鉱山業の成功によって債務から解放された。

クック【Pieter Coecke van Aelst】

1502‐50
フランドルの画家。タピスリー,ステンド・グラスの下絵画家,建築理論家。アールスト生れ。ファン・オルレイに師事した後,イタリアに旅行し1525年帰国。27年アントワープで自由親方に登録。33年コンスタンティノープルへ旅行(死後1553年に,木版画シリーズ《トルコ人の風俗と流儀》が出版される)。多くの祭壇画にフランドル・マニエリスム様式を導入。高い教養の持主であった彼は,ウィトルウィウスの《建築十書》の要約,セルリオの《建築論》のオランダ,フランス語訳を行い,49年のフェリペ2世のアントワープ訪問を記念した《勝利の入場》などを出版。

クック【Thomas Cook】

1808‐92
イギリスの旅行代理業者。熱心な禁酒論者で,1841年禁酒運動の大会へ同志を団体旅行させたのを皮切りに旅行斡旋業をはじめた。51年のロンドン万国博覧会で大成功を収めたうえ,海外旅行にも事業を拡大,現在,全世界の主要地に支店を置く世界屈指の旅行社トマス・クック・アンド・サン社となっている。同社は1873年《ヨーロッパ鉄道(および連絡船)時刻表兼旅行ガイド》を発刊,現在は全世界の鉄道時刻表を発行している。

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大辞林 第三版の解説

クック【cook】

コック に同じ。

クック【Cook】

〔James C.〕 (1728~1779) イギリスの軍人・探検家。1768年から三回太平洋方面の大航海を行い、未知の海域・島を明らかにした。また、オーストラリアの領有宣言を行うなど、その後のイギリスの太平洋方面進出の基を築いた。キャプテン-クック。
〔Thomas C.〕 (1808~1892) イギリスの旅行代理業者。1841年、禁酒法大会参加者のために特別列車を仕立てたのを機に旅行会社を設立、旅行業を創始。

出典 三省堂大辞林 第三版について 情報

世界大百科事典内のクックの言及

【朝鮮料理】より

…冷めても固まらない植物油の多用や,スープ,煮汁,漬物汁なども匙で食べるので,それに見合うような副食料理へと料理内容が適合し発展してきたといえる。【鄭 大 声】
〔朝鮮料理の副食〕
スープ類クック,湯(タン)などとよばれ,わかめスープ(ミオックック)がもっとも有名である。ご飯には必ずつき,匙で食べる。…

【衡平法】より

…しかし大法官府裁判所が16世紀までにその管轄をきわめて広くしたために,管轄が衝突する場合が多くなり,かくしてコモン・ローに寄生するコモン・ロー法曹の職業的利益が侵されることにもなり,絶対王政とその反対派との政治的争いもからんで,16,17世紀にはこの提携関係が崩れ,両者はしばしば闘争を繰り返した。特にコモン・ロー支持,反絶対王政側のリーダーであるE.クックと大法官エルズミアLord EllesmereおよびF.ベーコンとの激突は有名であるが,その結果の国王の裁定(1616)により,大法官府裁判所の権能は最終的に確認され,革命期の一時的危機の後,王政復古(1660)以後はその存在は脅かされることなく隆盛となった。 このように大法官府裁判所が確立されてくると,いかに具体性を尊重するとはいえ,多数の類似の事件に異なった判決を与えることはそれ自体が衡平に反することになり,ここに集積された判例を中心にした慣行・判例法が生じてくる。…

【法の支配】より

… 法の支配は,しばしば,英米法の基本原理の一つであるとされる。そして,17世紀初頭にイギリス国王と議会との間に抗争が生じた時期に,王権神授説を振りかざすジェームズ1世がコモン・ロー裁判所と教会裁判所の間の裁判権の争いについてみずから判決を下そうとしたのに対し,E.クックが,13世紀に公刊されたH.deブラクトンの有名な著作から,〈国王は何人の下にもあるべきではない。しかし,神と法の下にはあるべきである〉との一句を引いて対抗したというエピソードが,しばしば引用される。…

【オーストラリア】より

…15世紀初頭,中国人の船隊が大陸北岸に上陸したのを皮切りに,17世紀初めから後半にかけてタスマンほかの海洋探検家による局地的上陸が行われた。1770年4月28日のJ.クックのシドニー郊外ボタニー湾上陸,同年8月のポゼション島での大陸東部イギリス領宣言(全大陸のイギリス領宣言は1829年)によって,先住民の大陸占拠は終りを告げた。 1788年1月18日,フィリップArthur Phillipの第1次船団(11隻。…

【カウアイ[島]】より

…山がちではあるが,肥沃な土壌に恵まれ,サトウキビ,米,パイナップルなどの農業が発達する。1778年ジェームズ・クックがハワイ諸島の中で最初に上陸したのがこの島。西側のニーハウ島とともにカウアイ郡を構成し人口5万(1990)。…

【太平洋】より

…1577‐80年史上2度目の世界周航を達成したF.ドレークは海賊として有名だが,18世紀の科学的探検時代の先駆者ダンピアもこうした海賊の一人だった。イギリスとフランスの航海者たちが科学的探検時代に活躍したが,代表はJ.クックである。金星の太陽面通過観測のために1769年にタヒチ島を訪れてから,79年までの間にクックは3回の探検航海を実施した。…

【トンガ】より

…現国王トゥポウ4世はこの王朝の系統を引いている。 トンガを3度(1773,74,77)訪れたJ.クックは,住民から親切なもてなしを受け,ハアパイ群島をフレンドリー・アイランズと名づけた。トゥポウ1世(在位1845‐93)がキリスト教に改宗して以来,キリスト教は急速に広まり,現在ではほとんどの国民がキリスト教徒で,安息日は厳格に守られている。…

【南極】より

…まず16~17世紀にかけてサウス・ジョージア島などの大陸周辺の島々が報告された。確かな南極圏突破は1772‐75年のイギリスのJ.クックによる南極大陸の周航である。これは,南極大陸への最初の接近といえる。…

【ニュージーランド】より

…正式名称=ニュージーランドNew Zealand面積=27万0534km2人口(1996)=362万人首都=ウェリントンWellington(日本との時差=+3時間)主要言語=英語,マオリ語通貨=ニュージーランド・ドルNew Zealand Dollar赤道と南極の中間,南太平洋の南緯34゜~47゜に位置するイギリス連邦内の自治領。北島(面積11万5777km2)と南島(15万1215km2)の2大島,南島の南のスチュアート島,東方のチャタム諸島などからなり,ポリネシアのクック諸島トケラウ諸島ニウエ島も含む。温暖な気候に恵まれた牧畜国で,自然保護と高福祉政策を誇る。…

【ハワイ王国】より

…ハワイはいくつかの首長国に分かれ,それぞれにアリイ・アイモクと呼ばれる大首長が君臨していた。1778年3度目の探検航海の途上,J.クックはハワイを訪れ,彼のスポンサーの一人サンドウィッチ伯爵の名にちなんで諸島をサンドウィッチ諸島と命名した。翌年再訪したクックは,ボートを島民に盗まれたため大首長の一人を人質にしようとして,逆に殺されてしまった。…

【入墨∥刺青】より

…この場合,体表面に傷をつけて文様をしるすという意味で広義に〈文身〉をとらえ,その下位区分として入墨を刺痕文身と称し,色料を使わない瘢痕(はんこん)文身cicatrizationまたはscar‐tattooingと区別する。入墨を意味する英語のtattooは,18世紀後半にクック船長が南太平洋のタヒチでtatauと呼ばれていたこの習俗を西欧社会に紹介したことに由来する。入墨自体およびその技法は多種多様で,人々の自然環境や文化的背景を反映している。…

【時刻表】より

…これは41年12月から月刊となり,鉄道のほかに汽船の時刻も加え,1961年6月まで続いたので,〈ブラッドショー〉は〈鉄道時刻表〉を意味する語として,一般に認められた。一方,イギリスで世界最初の旅行代行社を創立したトマス・クックは,1873年に《クックのヨーロッパ大陸時刻表》を創刊,以後海外旅行者に多く利用され,今日ではヨーロッパ版と,ヨーロッパ以外の全世界を収録する海外版の2種類を発行している。 日本では東海道本線の新橋~神戸間が全通した1889年の8月に,大阪の忠雅堂が刊行した《日本全国汽車時間表》が,冊子式全国鉄道時刻表の最初である。…

※「クック」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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