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カラー映画(読み)カラーえいが

百科事典マイペディアの解説

カラー映画【カラーえいが】

天然色映画とも。すでにエジソンキネトスコープでも色彩が用いられていた。最初は画面を1コマずつ人工的に彩色する型置法に始まり,20世紀初めには加法混色映写法による各種の方法が行われた。本格的な色彩映画の出現はテクニカラー社が減色法撮影機とプリント方式を開発した1918年以降のことで,1933年に2色法から3色法に改良して色の再現力を高め,《風と共に去りぬ》(1939年)その他の名作を出している。一方,1930年代に米国とドイツでほとんど同時に開発された発色フィルム法は,第2次大戦後,飛躍的な進歩をみせ,米国のイーストマンカラー,ドイツのアグファカラー,日本のフジカラー等が映画用に供せられるようになり,1950年代中葉から実用化されるに至った。現在は,一般に発色フィルムでネガ撮影し,上映用のポジに焼き付けている。

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世界大百科事典 第2版の解説

カラーえいが【カラー映画】


[初期のカラー映画]
 スクリーンに〈色〉や〈音〉を加えたいというのは,映画が生まれて以来の人々の願望であり,はやくからそのための努力と試みが繰り返された。カラー映画color filmと呼ばれるものには,技術的に大別すれば,白黒の画面に着色した〈彩色映画〉と,写真技術によって被写体そのままの色を再現した〈天然色映画〉がある。〈彩色映画〉には,染料でポジティブの一部分あるいは全体を染色tintingする方法と,ポジティブの画像を調色toningする方法がある。

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世界大百科事典内のカラー映画の言及

【日本映画】より

…向島の新派は,1914年の《カチューシャ》の大ヒットにより勢いを得て,ぞくぞく量産され,18年には《金色夜叉》《不如帰》《生ける屍》をヒットさせ,立花貞二郎,関根達発,山本嘉一,藤野秀夫,衣笠貞之助,東猛夫らを人気スターにした。
[日本最初のカラー映画]
 14年,日活につづく映画大企業として,天然色活動写真株式会社(天活)が生まれた。これは,日活成立後まもなく日活を脱退し,それぞれに映画製作を始めた旧福宝堂系の小林喜三郎と山川吉太郎が創立した会社で,沢村四郎五郎(1877‐1932),市川莚十郎を主役に日活の松之助映画と同様の旧劇を量産するとともに,新派の連鎖劇に力を入れた。…

※「カラー映画」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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