ワーナー
Jack L.Warner
生没年:1892-1978
アメリカの映画企業家・製作者。ハリウッドの映画会社〈ワーナー・ブラザース〉の設立者の一人。ポーランド系ユダヤ人移民の12人の子どもの末子としてカナダに生まれる。靴修繕業,肉屋,自転車屋,ニッケルオデオン経営,映画の巡回興行などの家業を手伝ったのち,兄たちとワーナー・ブラザースを設立(1923),ジャックはその中で一貫して製作面を担当し,最初の本格的なトーキー《ジャズ・シンガー》(1927)の成功,また製作本部長に起用したダリル・F.ザナックの手腕もあって,ワーナー・ブラザースを戦前のハリウッドの一流会社(〈ハリウッド・メジャーズ〉)の一つに発展させる道を開いた。その後も戦中,戦後と,ワーナー・ブラザースの歴史とともにあゆみ(製作担当副社長から,のちには社長となった),本はおろか脚本さえ読まないと悪口をいわれながらも強力な〈指導力〉と〈行政力〉によって,ハリウッドに〈ショーマン〉としての大きな足跡を残した。会社がテレビ会社セブン・アーツ社と合併(1967)したのちも,ワーナー・ブラザース=セブン・アーツ撮影所の所長,重役会の副会長をつとめた。
また,〈赤狩り〉の時代には,ハリウッドの経営陣から反共戦線に転じた最初の〈大物〉として知られ,1947年10月の非米活動委員会においては,ハリウッドの著名な政治的保守主義者ルイス・B.メイヤーおよびウォルト・ディズニーとともに,いわゆる〈友好的証人〉たちのなかで経営者側を代表した(〈ハリウッド・テン〉の項目も参照)。《ハリウッドにおける私の最初の百年My First Hundred Years in Hollywood》(1965)という有名な自伝があるが,その内容は〈近視眼的で信頼性に欠ける〉とも評されている。
→ワーナー・ブラザース[会社]
執筆者:柏倉 昌美
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
ワーナー
生年月日:1864年11月12日
イギリスの外交官
1954年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
出典 日外アソシエーツ「20世紀西洋人名事典」(1995年刊)20世紀西洋人名事典について 情報
世界大百科事典(旧版)内のワーナーの言及
【ワーナー・ブラザース[会社]】より
…アメリカの映画会社。ポーランド系ユダヤ人移民のワーナー4兄弟,すなわち,ハリー・ワーナーHarry Warner(1881‐1958),アルバート・ワーナーAlbert W.(1884‐1967),サミュエル・ワーナーSamuel W.(1888‐1927),ジャック・L.[ワーナー]Jack L.W.(1892‐1978)が,ニューヨークで〈ワーナー・フィーチャー・フィルムズ〉を設立(1917)して,配給業から独立製作者に転じたのが総合映画企業としてのそもそもの始まりで,1918年にはハリウッド郊外のバーバンクに撮影所をつくった。そして,社長ハリーと経理担当のアルバートがニューヨークで本社業務を担当し,サミュエルが技術面を,撮影所長ジャックが製作面を担当,23年に社名を変更して,この名(ワーナー・ブラザース・ピクチャーズ・インコーポレーテッド)が生まれた。…
【ワーナー・ブラザース[会社]】より
…アメリカの映画会社。ポーランド系ユダヤ人移民のワーナー4兄弟,すなわち,ハリー・ワーナーHarry Warner(1881‐1958),アルバート・ワーナーAlbert W.(1884‐1967),サミュエル・ワーナーSamuel W.(1888‐1927),ジャック・L.[ワーナー]Jack L.W.(1892‐1978)が,ニューヨークで〈ワーナー・フィーチャー・フィルムズ〉を設立(1917)して,配給業から独立製作者に転じたのが総合映画企業としてのそもそもの始まりで,1918年にはハリウッド郊外のバーバンクに撮影所をつくった。そして,社長ハリーと経理担当のアルバートがニューヨークで本社業務を担当し,サミュエルが技術面を,撮影所長ジャックが製作面を担当,23年に社名を変更して,この名(ワーナー・ブラザース・ピクチャーズ・インコーポレーテッド)が生まれた。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」