出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
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キール条約
きーるじょうやく
1814年1月14日、当時デンマーク領であったキールKiel(現、ドイツ)において、ナポレオン戦争の敗戦国デンマークと、イギリス、ロシア、スウェーデンとの間で締結された講和条約。この条約でイギリスにヘルゴラント島を割譲したデンマークは、ナポレオン討伐軍として1万の兵をスウェーデン軍のもとに派兵、さらに同君連合の相手国ノルウェーをスウェーデン王に譲渡した。その見返りのスウェーデン領リューゲン島、スウェーデン領ポメラニアは翌年プロイセン領となり、さらにその見返りは人口約5万のプロイセン領ラウエンブルクであった。アイスランドとフェロー諸島、グリーンランドを切り離されたノルウェーは、同君連合の相手国を譲渡しえないと反論し、デンマーク人総督クリスティアン・フレデリク(1786―1848、後のデンマーク王クリスティアン8世(在位1839~1848))を王に擁立して独立を宣言した。
しかし、その後すぐにスウェーデンの圧力に屈してスウェーデンとの同君連合に移行したノルウェーは、スウェーデン政府の内政干渉を排するために、その自治権の法的根拠をキール条約上の表現である「スウェーデン王への譲渡」ということばに求めた。
[村井誠人 2022年5月20日]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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キール条約 (キールじょうやく)
ナポレオン戦争の敗戦国デンマークと,イギリス,ロシア,スウェーデンの間で,北ドイツのキールにおいて1814年1月14日に締結された講和条約。この条約でデンマークは,ナポレオン討伐軍への参戦に加え,イギリスにヘルゴラント島を割譲し,さらに同君連合の相手国ノルウェーをスウェーデン王に〈割譲〉した。これはノルウェーの独立運動をひきおこす原因となり,独立に失敗しスウェーデンとの連合へ移行したのちにも,スウェーデン国家の干渉を排するノルウェーの自治権の根拠として,〈王への割譲〉という表現がその法的地位の解釈に多大な意味をもった。
執筆者:村井 誠人
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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キール条約
キールじょうやく
Treaty of Kiel
1814年1月 14日デンマークとスウェーデン,イギリスの間で締結された条約。 12年ロシアと同盟を結びフランスに対したスウェーデン皇太子カルル・ヨハン (のちのカルル 14世 ) は,スウェーデン,プロシア,ロシアの軍隊を率いてデンマークに侵入した。この講和条約でデンマークは,ノルウェーをスウェーデンに割譲して 1380年以来の同盟に終りを告げ,さらにヘルゴランド島をイギリスに割譲した。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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キール条約
キールじょうやく
1814年,デンマークとイギリス・スウェーデンの間に結ばれた条約
ナポレオン戦争でナポレオンを支持したデンマークから,スウェーデンはノルウェーを,イギリスはヘリゴランド島を獲得した。
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
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