コスタリカの古代文化(読み)こすたりかのこだいぶんか

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

コスタリカの古代文化
こすたりかのこだいぶんか

コスタリカは、メソアメリカ文明の南限に位置し、北西部のニコヤ半島は、その北西のニカラグア太平洋岸地方とともに、マヤ文化の影響が濃厚な彩色土器の伝統をもっている。この地域には、紀元前から彩色土器の発展がみられたが、紀元450年ごろから、「ニコヤ・ポリクローム(多色)・スタイル」とよばれる強い個性を備えた土器が現れ、ホンジュラスのウルア地方のマヤ系土器とともに、古典マヤ文化前期(300~600)の指標であるテペウ型式の土器との関連が指摘されている。「ニコヤ・ポリクローム・スタイル」は、それから紀元800年ごろまでの初期と、800~1100年の中期と、それ以後スペイン人侵入までの後期に三分されるが、なかでも中期がもっとも特色ある文化の開花期であり、古典マヤ文化の衰退後、この地域が過去の文化的蓄積のうえに、自由な芸術的表現を発展させたことを示している。代表的な土器は、足付き皿、台付き壺(つぼ)、動物の体に支えられた西洋ナシ形の壺などの器型をもち、いずれも極度に様式化された多色の文様によって飾られている。これらの土器はいずれも祭祀(さいし)用につくられたものであるが、中期はかなり規模の大きい祭祀センターが発達した時期であり、ニコヤ地方からニカラグアにかけて、方形または円形のマウンド(塚)が集合した祭祀場や、怪獣の頭飾りをつけた人の立像または座像の石彫が発見されている。中期はまた遺跡数が最大であることから、人口が極限に達したときであり、発達した農耕社会が統合され、祭祀センターを核とした首長制社会に編成されていった時期であると推定される。
 コスタリカの高地および大西洋岸斜面は、ニコヤとは別な文化領域を形成し、ここでも祭祀センターの発達がみられたが、土器はパナマの西部チリキ地方との類似を示す太い三脚付きの壺や、刻線、色彩で飾られた台付き、または台なしの丸い壺などが多い。同地方のリネア・ビエハ地区からは、かなり写実的な表現による男女の立像、座像や、人間、動物などの形の複雑な脚部で支えられた、磨かれた石板などの特徴的な石製品が出土する。男子像はしばしば戦首級を抱えており、またワニに似た怪獣が人間の首を抱いた立像などもみつかっているので、人身御供(ひとみごくう)のような儀式が行われていたのではないかといわれる。石板は墳墓の中から発見され、「祭壇」とよばれることもあるが、その形状からみて供物台として使われた可能性もある。リネア・ビエハ地区の石彫は、パナマのチリキ地方とも関係があるが、その洗練度においては中央アメリカ随一といってよかろう。
 コスタリカ東部のディキス地方は、パナマ西部のチリキ地方と一体の文化圏をなす。土器伝統は、褐色または赤褐色の装飾の少ない単純な土器が卓越していた初期と、ネガティブ文様を特色とした彩色土器の全盛時代である後期に二分される。後期はパナマのチリキとほとんど不可分の関係にある。ディキス地方でも各種の石彫はすこぶる発達し、ジャガーの頭と四肢をもった平石は、リネア・ビエハ地区の「祭壇」との関係を暗示する。また、男女像、ヘビその他の神像の彫刻も特色がある。また、チリキ、ディキス地方は、パナマのコクレ地方と関連のある金製品の産地でもあり、ペンダント、鼻飾り、耳飾りなどが多数出土している。[増田義郎]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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