デジタル大辞泉 「コタバル」の意味・読み・例文・類語 コタ‐バル(Kota Bharu) マレーシア、マレー半島東岸の都市。クランタン州の州都。南シナ海に面し、ケランタン川の河口に位置する。イスラム教徒のマレー人が多く居住。銀細工や織物などの伝統工芸が盛んで、博物館が多い。太平洋戦争初期、日本軍のマレー半島上陸作戦の舞台となった。 コタ‐バル(Kota Baru) インドネシア東端の港湾都市ジャヤプラの旧称。 出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例 Sponserd by
改訂新版 世界大百科事典 「コタバル」の意味・わかりやすい解説 コタ・バルKota Baharu マレーシアの半島部北東岸,タイ国境近くにある都市。ケランタン川の沖積低地に位置し,雨季には洪水に見舞われることがある。ケランタン州の州都。人口25万2000(2000)のうち3/4はマレー人,華人は1/4未満。伝統的な織物・銀器の産地として知られ,近代工業は未発達。保守的な汎マレーシア・イスラム党の活動拠点。市北東郊の海水浴場は,第2次大戦中に日本軍が奇襲上陸した所である。執筆者:太田 勇 出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報 Sponserd by
日本大百科全書(ニッポニカ) 「コタバル」の意味・わかりやすい解説 コタ・バルこたばるKota Bahru マレーシア、ケランタン州の州都。マレー半島北東端のケランタン川河口に位置し、南シナ海に臨む。人口23万3673(2000)。マレー人が多く、伝統的な銀や錫(すず)の細工、サロン用の織物を生産し、西方にはタマンガン鉄山がある。このあたり一帯はかつてタイ国の勢力下にあった。太平洋戦争の初期、マレー進攻を目ざした日本軍上陸地の一つとしても知られる。市街は近年著しく近代化した。地方空港もある。[別技篤彦] 出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例 Sponserd by
世界大百科事典(旧版)内のコタバルの言及 【ジャヤプラ】より …人口15万(1980)。オランダ領時代はホーランディアと呼ばれ,その後コタ・バル,スカルナプラと改称され,1969年以後現在名となる。付近はココヤシ農園が開け,西イリアンの政治・経済の中心地である。… ※「コタバル」について言及している用語解説の一部を掲載しています。 出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」 Sponserd by