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ゴウォン ゴウォン Gowon, Yakubu

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ゴウォン
ゴウォン
Gowon, Yakubu

[生]1934.10.19. リュアパンクシン
ナイジェリアの軍人,政治家。イギリスサンドハースト陸軍士官学校卒業。 1966年8月クーデターを起し,A.イロンシ大統領を殺害して,ナイジェリア連邦共和国政府首班となったが,75年7月ウガンダアフリカ統一機構 OAU首脳会議出席中に起ったクーデターで失脚し,イギリスに亡命した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ゴウォン
ごうぉん
Yakubu Gowon
(1934― )

ナイジェリアの軍人、政治家。ビアフラ戦争・和解・戦後復興期(1966~1975)の国家元首。1934年、北部ミドルベルト地帯に居住するアンガス人・キリスト教宣教師の家に生まれる。ガバメント・カレッジ(ザリア)を卒業後、1954年に陸軍に入隊し、イギリスの陸軍士官学校(サンドハースト)で教育を受けた。コンゴ動乱の際に国連平和維持軍に参加し、1963年6月中佐に昇任、参謀副官に任命された。1966年1月のクーデターの後に、イロンシJohnson Thomas Umunnakwe Aguiyi-Ironsi(1924―1966)によって軍参謀長に任命され、同年7月のイロンシが殺された第二次クーデターの後、軍部政権指導者として選任された。ゴウォンは、各州のバランスをとるため12州制案を1967年5月に発表したが、東部州軍政長官オジュクはこれに反対し「ビアフラ共和国」の分離独立を宣言した。ビアフラ戦争は1967年7月から始まり、1970年1月ビアフラ軍の降服によって終結した。戦後、ゴウォンは国内の和解、統一、経済再建ならびに西アフリカ諸国との地域協力の促進に努力した。1974年10月、民政移行計画延期を発表し、国民の支持は低下した。1975年7月、アフリカ統一機構(OAU)総会(カンパラ)に出席中、無血クーデターがあり、ゴウォンは帰国することなくイギリスに亡命。1975年10月にウォーリック大学に入学し、政治学の研究を続けた。1976年2月13日、国家元首ムハンマドMurtala Muhammad (1938―1976)が殺害されたクーデターに関与したとの嫌疑によって、同年5月15日に官職・年金を剥奪(はくだつ)された。しかし、1981年10月大統領シャガリAlhaji Shehu Usman Aliyu Shagari(1924― )によって特赦が与えられ、帰国するよう要請された。1984年7月にウォーリック大学で政治学の博士号(Ph.D.)を取得。1999年2月、民政移行への大統領選挙では、オバサンジョOlusegun Obasanjo(1937― )候補の有力な支持者として活動した。[中村弘光]

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