サンディニスタ民族解放戦線(読み)サンディニスタみんぞくかいほうせんせん(英語表記)Frente Sandinista de Liberación Nacional

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 の解説

サンディニスタ民族解放戦線
サンディニスタみんぞくかいほうせんせん
Frente Sandinista de Liberación Nacional

略称 FSLN。ニカラグアの左翼ゲリラ組織,のち政権政党。 1961年 C.フォンセカ,T.ボルヘらにより民族解放戦線としてホンジュラス結成された。 63年には現名称に改め,ソモサ政権打倒を目的に活動を始めた。一時は3派に分裂したが,政府の動揺に乗じて 77年から攻勢に転じ,78年8月の大統領官邸占拠で威信を高め,79年7月その主導権のもとにソモサ政府を倒した。複数政党制,混合経済,非同盟を公約し,やがて革命臨時政府の主導権を掌握,農地改革などを推進した。エルサルバドル・ゲリラを支援したため対米関係が険悪化し,アメリカが旧警備隊を中心とする反革命ゲリラ組織コントラを支援するに及んで,ソ連キューバから武器を購入して軍備を拡張した。 84年 11月選挙に勝利,党首 D.オルテガを大統領としたが内戦は続き,社会主義計画経済建設に失敗して経済は悪化,88年賃金物価統制解除後ハイパー=インフレーションが発生。 90年2月選挙で国民野党連合に敗れ,軍指令官職の保持を条件に政権移譲に応じ,強力な大衆的支持基盤を保ちつつ社会民主主義路線への転換をはかった。しかしその後,党内にはオルテガ党首に対する批判が強まり,94年にはセルヒオ・ラミレス率いる反執行部勢力が離党し,サンディニスタ革新運動を結成。 96年 10月大統領選挙にはオルテガ党首が出馬するが自由連合に敗北した。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

旺文社世界史事典 三訂版 の解説

サンディニスタ民族解放戦線
サンディニスタみんぞくかいほうせんせん
Frente Sandinista de Liberación Nacional

中米ニカラグアの社会主義革命運動の組織
ニカラグアの英雄的革命家サンディーノ(1895〜1934)からとったもので,1959年のキューバ革命の影響下に成立した。長期にわたるソモサ独裁政権を打倒するために合法,非合法の反政府運動を展開していたが,1978年から大規模な軍事攻勢を強め,79年には都市のゼネストも加わってソモサを打倒し,臨時政府を樹立させた。これをニカラグア革命といい,その後サンディニスタ政府と親米派ゲリラとの内戦となったが,1990年の選挙で親米派のチャモロが当選し,両派和解に向かった。

出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報

世界大百科事典(旧版)内のサンディニスタ民族解放戦線の言及

【サンディニスタ運動】より

…ニカラグアの革命運動の呼称。正式名称はサンディニスタ民族解放戦線Frente Sandinista de Liberación Nacional(略称FSLN)。1934年に暗殺されたニカラグアの革命家A.C.サンディーノの名前を取ったこの運動は,長期にわたって同国を独裁的に支配してきたソモサ体制に反対して,1961年に都市の急進的な青年を中心に起こった。…

【ニカラグア】より

…この間,農業や輸出の不振がつづき,経済面で停滞が見られたが,政治的には同じような支配が継続され,アナスタシオ・ソモサ・デバイレは74年に大統領に再選された。 反ソモサ勢力はさまざまに分岐していたが,1961年にサンディーノの名前をとったサンディニスタ民族解放戦線(FSLN)が結成され,しだいに政治的・軍事的な攻勢の中心となり,労働者,学生,農民などの間で支持を広げた(サンディニスタ運動)。やがて教会や中産階級も反ソモサ色を強め,78年1月にチャモロ家の一人で反政府系新聞編集長であったペドロ・ホアキン・チャモロPedro Joaquín Chamorro(1924‐78)がソモサに暗殺されたあとは,サンディニスタと協力関係を深めた。…

※「サンディニスタ民族解放戦線」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android