ザールラント州(読み)ザールラント(その他表記)Saarland

翻訳|Saarland

デジタル大辞泉 「ザールラント州」の意味・読み・例文・類語

ザールラント(Saarland)

ドイツ西部の州。州都ザールブリュッケンフランスグラン‐エスト地方と国境を接する炭田地帯で、欧州屈指の重工業地帯を形成。18世紀以来ドイツ・フランスの係争地で、第二次大戦後は一時フランスの管理下におかれたが、1957年ドイツ領となった。ザール

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ザールラント州」の意味・わかりやすい解説

ザールラント〔州〕
ザールラント
Saarland

ドイツ西部,西-南をルクセンブルクおよびフランスに接し,東-北をラインラントファルツ州に囲まれる州。州都ザールブリュッケン。フランク王国が,843年のベルダン分割条約によって,東西両フランクと,イタリアを含む中部フランクとに分けられたとき,ザール川,モーゼル川の間の地域は,中部フランクとしてロタール1世の治下に入った。しかし 870年には東フランク王国領となり,その後現州域の大部分は,18世紀までザールブリュッケン伯の勢力下にあった。ただし,1684年にはザールルイを中心にフランス領ザール地方が発足したが,97年にはザールルイ以外のすべての都市がフランスからドイツに返還させられた。さらに 1792年には,フランス革命の余波でフランス軍がザール地方およびライン東岸の一部まで占領したが,1815年にはナポレオン1世の敗北とともに,ザール地方の大部分はプロシア領となった。 71年アルザス=ロレーヌ地方はドイツ領となり,ザール地方は豊富な石炭とロレーヌに産する鉄鉱石とによって鉱工業地帯として急速な発達を示した。第1次世界大戦後もフランスによる国際連盟委任統治 (1919~35) ,住民投票によるドイツ復帰 (35~45) ,第2次世界大戦後のフランス占領 (45~57) と,めまぐるしい変遷ののち,1957年,住民投票によるドイツ復帰が実現して西ドイツ 10番目の州となった。州域は全般に山地が多く,都市はザールブリュッケン,フェルクリンゲンを中心としたザール河谷に集中。炭鉱やその付属諸施設,従業員住宅などが森の多い田園風景の中に点在している。交通も州都を中心に完備,ザール川,アウトバーン,鉄道などにより,ヨーロッパ大陸中西部の各地と結ばれる。ザール炭田は採掘可能埋蔵量 20億~30億tといわれ,ロレーヌ,ルクセンブルクの鉄鉱石と結びついてここにヨーロッパの重工業の中心の一つを形成。製鉄製鋼をはじめ,機械,化学,ガラスなどの工業が盛んである。面積 2569km2。人口 102万2585(2010推計)。

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