ドイツ南西部,ザールラント州の州都で経済,文化の中心地。人口18万3836(1999)。金属・鉄鋼・機械工業のほか,織物,電機,食品,印刷など各種の工業が行われる。モーゼル川の支流ザール川の盆地に位置する。フランス国境に近く,石炭埋蔵地域のため,独仏争奪の的となった。ローマ時代に城砦が築かれ,1321年に都市法を獲得して遠隔地取引の中心となったが,三十年戦争で破壊をうける。18世紀に繁栄を取り戻し,1793年にフランス領,1815年にプロイセン領となる。1850年より石炭と鉄を中心に工業が興隆し,普仏戦争の戦場となった。20世紀初頭に周辺の都市を合併して大都市に成長したが,第1次大戦後にザール問題の渦中におかれた。町の中心にルートウィヒ教会(18世紀)やザールラント大学(1948創設),商工会議所,博物館などがある。
執筆者:川本 和良
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ドイツ西南部、ザールラント州の州都。人口18万3300(2000)。ザール川とその支流が盆地状の河谷を形成する部分に位置する。市域の南部はフランスとの国境をなす。999年にザール川左岸に城と市場が置かれ、1321年に都市権を得た。交通上の要地にあたり、ローマ時代の橋頭堡(きょうとうほ)やローマ街道の遺跡もある。19世紀以降、ザール地方の近代工業発展の中核となり、急速に市街地を拡大、1902年に隣接する2都市を合併した。製鉄業を中心に、鉄鋼、機械、車両などの重工業の発達した工業都市であるが、近年は州都として、政治、経済、文化の中心地としての機能が高まり、第三次産業の比重が大きくなった。
[朝野洋一]
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