アウトバーン(読み)あうとばーん(英語表記)Autobahn ドイツ語

日本大百科全書(ニッポニカ) 「アウトバーン」の意味・わかりやすい解説

アウトバーン
あうとばーん
Autobahn ドイツ語

自動車専用の高速道路を意味するドイツ語の普通名詞であるが、狭義にはドイツの高速自動車道をさす。アウトバーンの建設、維持管理は、ドイツ連邦政府の管轄であるが、実際の業務は州政府に委託されている。近代的な自動車専用の高速道路は1920年代からドイツに存在した(1932年完成のケルン―ボン間の高速自動車道は有名)が、ナチス政権下の1933年からライヒス・アウトバーンReichsautobahn,Reichs-Autobahn(ドイツ帝国高速自動車道路)の名で建設に着手され、現代の高速自動車道の先駆となった。当初は約1万4000キロメートルの建設が目標とされ、最初のライヒス・アウトバーンは1935年フランクフルト―ダルムシュタット間に開通し、第二次世界大戦中の1942年に中止されるまでに約3860キロメートルを完成させた(そのうち約2100キロメートルが西ドイツ国内に残った)。戦後は東西ドイツとも国内の幹線道路としてアウトバーンの建設を進め、その延長は、1973年には西ドイツで5258キロメートル、東ドイツで1390キロメートルに達し、1985年には西ドイツで8198キロメートルとなった。1990年の東西両ドイツの統一以降もアウトバーンの建設・整備は続けられ、1992年の総延長は1万0995キロメートル、1997年に1万1246キロメートル、2000年には1万1515キロメートルとなった。2012年の総延長は1万2845キロメートルである。さらに隣接する各国の高速道路とも国境で接しており、国をまたいだ人や貨物の移動を可能にしている。

 アウトバーンはかつて速度無制限の道路として有名であったが、現在は大型トラック(時速80キロメートル)やバス(多くの場合時速100キロメートル)などで制限速度が課されているほか、合流部や工事箇所、大都市周辺の区間でも制限区間が設けられている。

 自然環境や景観の保護と経済性との兼合いの問題、老朽化した施設の維持管理、交通量増大に伴う4車線から6車線、6車線から8車線への拡幅路盤の更新、さらに必要となる財源の確保などアウトバーンの課題は多い。

[青木栄一・青木 亮]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アウトバーン」の意味・わかりやすい解説

アウトバーン
Autobahn

ドイツの高速自動車国道。ヒトラーが産業・軍事上の目的と失業対策を兼ねて企画,土木技師 F.トートを道路総監とし,自動車国道営団に工事と道路経営を命じ,1933年9月に起工したのが始りで,当初はライヒスアウトバーンと称した。自動車専用道路を全国的な幹線交通網として整備する構想は世界的にも先駆的な試みで,大規模な計画,設計,工事方法など世界道路史上,画期的なものであり,陸上交通の中心が自動車に移り,高速道路の代表として世界の注目を集めた。最初の計画では,総延長1万 4000kmであったが,第2次世界大戦中,42年の工事中止までに,3859kmを完成。戦後,西ドイツでは,このうち 2110kmを引継ぎ,55年から修理と延長工事に着手,その延長は 4000km以上となり,85年までに 8500kmの延長工事を計画,実施中である。 90年に東西ドイツが統一されたのちは,旧東ドイツ地域においてアウトバーンが優先的に建設整備されている。道路設計は 3.5~5mの中央緑地帯をはさんで,両側に 7.5m幅の車道を設け,車道には,緑地帯に接して 0.4m,外側に 1m幅の2本の側道がつく。コンクリートとアスファルトで,平均 22cmの舗装をし,平均 30~40kmごとに給油所,平均 150km間隔で休憩所,3kmおきに非常用電話を設置。また立体交差方式の採用など,近代的高速道路の典型である。

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