翻訳|gentry
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…チューダー朝2代目のヘンリー8世は,みずからの離婚問題を契機にしてローマ教会から分離して英国国教会(アングリカン・チャーチ)をつくりその首長となった(1534)が,この宗教改革は議会制定法を通して行われ,肝心の信仰問題よりも,ローマ教会の支配を排除した国民国家の建設という政治的課題が優先したところに特徴がある。同時に行われた修道院解散によって没収されたその土地・財産は,下院議員としてまた地方行政を担当する治安判事として協力を惜しまなかったジェントリー層に分配され,それが彼ら〈ジェントリーの勃興〉を招き,彼らが従来の貴族に代わってこれから後の近代イギリスの主要な担い手となる契機が与えられた。しかしながらこの宗教改革の際に教義上の改革が不徹底であったことが,ヘンリー8世没後に動揺を生み,娘のメアリー1世の治世には一時カトリックに復帰したが,1558年即位した当の離婚問題の申し子たるエリザベス1世は,プロテスタントとカトリックの激突を避ける〈中道〉政策をとって国教会を確立させ,貴族の反乱を鎮圧し,またメアリー・スチュアート処刑の報復に出たスペイン無敵艦隊を撃破(1558)して,国家の独立を守りぬき,国民の敬愛を一身に集めた。…
…本来のジェントルマンとは,地代収入によって特有の奢侈(しやし)的な消費生活や教養,政治活動を中心とする行動様式などを維持しえた有閑階級のことである。基本的には,公侯伯子男という爵位をもつ貴族と,身分的には庶民であるが,貴族と同様に〈家紋つきコートcoat of arms〉の使用を認められていた〈ジェントリーgentry〉とがその構成員であった。家紋は盾の形をした枠組みのなかに特定の図案が収められているもので,その家門がかつて武器をもつことを許された階層に属していたことを象徴する。…
…ついで36年と39年の2回にわたって修道院解散法が出,全修道院財産の没収が行われた。その理由としては国家財政強化説が有力であって,没収修道院領は漸次売却されて,主としてジェントリーの富を豊かにした。36年の小修道院解散法が議会を通過してまもなく,北部諸州で〈恩寵の巡礼〉と呼ばれる農民反乱がおこり,宗教改革,修道院解散の反対を唱えつつ,囲込み反対,農民保有地の保全を要求したが,鎮圧されてしまった。…
…語源的には中世以来の身分概念である〈エスクワイアesquire〉と同じ。貴族の下に位置し,貴族とともにイギリス近代初期の支配階級となったジェントリーの中核をなす。家紋の使用を認められた富裕な地主。…
… チューダー朝時代は絶対王政期とみなされているが,大陸諸国と異なって,議会(貴族院,庶民院)が存続し,課税審議機関・立法府として重視された。庶民院は全国民を完全に代表するものではなかったが,有給地方官僚制と常備陸軍を保持しえなかった国王・政府は,州選挙区のみならず都市選挙区からも多く選出されたジェントリー(地主層)議員を用いて国政を進めざるをえず,議会の存続・成長を促進させることになった。この場合,議会は国王・政府によって操縦され,絶対王政によって利用されるという側面とともに,庶民院の地位の向上,議事手続の改善,委員会制度の出現など議会制度,ひいては立憲主義それ自体の発達をもたらすという側面をも併せもった。…
…しかるに絶対王政とはいうものの王権の側には常備軍ならびに地方統治にあたる有給の官僚組織をもたないという弱点があった。一方,宗教改革への協力を通して議会の庶民院はしだいに発言力を強め,議員の選出母体で治安判事として地方行政を担当していたジェントリー(ジェントルマン)層が貴族に代わって台頭してきた。また国教会に対する批判勢力としてピューリタンの勢力も伸張をみせた。…
…ヨーロッパの中世都市は,古代のポリスやキウィタスとは異なり,農村地域とはっきり区別された特別の法領域であったから,聖職者や貴族など封建領主たる上位の諸身分に対しては,市民が農民とともに〈平民〉身分(フランスの〈第三身分〉)とみなされることもありえたが,法制上,市民は明らかに農民と別個の身分であった。ただ,イギリスにおいては,かなり早くから下級貴族たる騎士身分が,軍役代納金制の普及や傭兵使用の開始により,戦士の機能を失って地主化の道を歩んだため,ジェントリーという独特な名望家階層が形成された。しかもこのジェントリーは,生業のうえでも,血縁関係からも,都市の市民と密接なつながりをもつようになったので,イギリス議会の下院はジェントリーと市民の代表を合わせた〈庶民Commons〉から構成され,このことは,フランスやドイツ諸邦などに比して,イギリスの身分制社会がかなり流動的な性格をもっていたことを示している。…
…まずイギリスでは,領主制の危機の中で富裕な独立自営農民層が形成され,とくに農村に広がった毛織物工業の繁栄によって農民的商品経済が著しく発展し,その過程で富農と貧農とへの農民層の両極分解が進行していた。そこで,新興のジェントリーなどをはじめとする新領主層は,みずからも大土地所有者になってこういう産業的発展から利益を得ようとし,それまでの農民の保有地(謄本保有copyholdなど)を定期借地leaseholdに切り換えるとともに,牧羊のためのエンクロージャーなどを行い,こうして形成された大土地所有を一括して富農に定期借地させて地代収入の増加を図った。そして,この大土地所有を借地した富農は,貧農を農業労働者として雇用してしだいに資本主義的大借地農業経営者に成長していったから,17世紀のうちに農業の資本主義化が進み,こうしてイギリスでは,領主自身が近代地主(資本主義的大土地所有者)に転化することによって,18世紀までのうちに領主制が事実上消滅した。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
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