ジャート(英語表記)Jāt

改訂新版 世界大百科事典 「ジャート」の意味・わかりやすい解説

ジャート
Jāt

北インドのアーグラ,マトゥラーの周辺地域にすむ人々。ラージプート同様,西部インドから入ってきた外来部族といわれている。ラージプートとはちがって,18世紀以前には王国をつくらなかったが,ムガル朝アウラングゼーブ(在位1658-1707)の時代後期になると反乱を起こし,ムガル統治に打撃を与えるようになった。18世紀半ばごろ,スラジ・マルSuraj Malのもとで統一され,バーラトプルBhāratpurに都をおき,アーグラ,アリーガル,メーラトなどの地域からなる小王国を建設した。スラジ・マルはすぐれた指導者で,結果的には戦いに加わらなかったものの,1761年の第3次パーニーパットの戦に際して,マラーター同盟から援助を求められるほどの勢力をもった。その後,東方から領土を拡大してきたイギリス東インド会社と戦い,1805年にはこれを撃退したが26年には敗北し,ジャートの独立王国は滅びた。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ジャート」の意味・わかりやすい解説

ジャート
じゃーと
Jāt

インドの西部および北西部に広く居住する農耕民カースト。彼らが村内の有力カーストをなす村も多い。おおむねヒンドゥー、イスラムシークのいずれかの宗教に属する。トランス・オクシアナ地方を原住地とする説がある。ジャート勢力の発展は、1669年土豪(ザミーンダール)ゴークラーのもと、アグラ近郊の農民ムガル帝国の地方役人に反抗して蜂起(ほうき)したことに始まる。これはすぐ鎮圧されたが、1685年以後ラージャ・ラーム(1688年アクバル帝廟(びょう)を略奪)やチャウラーマンのもとに反抗を継続し、1757年バダン・シングのもとでバーラトプル王国を樹立した。後継者スーラジ・マルの時代、ラージャスターン東部から中部ドアーブ地方にかけて支配権を拡張したが、その後衰微した。

長島 弘]

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ジャート」の解説

ジャート
Jāt

北インドの有力な農耕・土地所有カーストデリー周辺からその西にかけて広く分布する。アウラングゼーブ帝治世の後半に反乱を起こし,ムガル帝国衰退の一因をつくった。18世紀半ば,アーグラーの西にあるバラトプルを都として小王国を樹立したが,19世紀初めにイギリスに滅ぼされた。現代インド政治においても大きな影響力を持つ。

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