イギリスの映画監督、映像作家。ミドルセックス県ノースウッド生まれ。父親はイギリス空軍の軍人でニュージーランド生まれ、母親はイギリス植民地だったインドで生まれた。子供のころは基地内の住宅を転々とし、父親の存在は彼にとって後年まで抑圧的なものの象徴であり続けた。典型的な中産階級の子として育つものの、1960年代に入ると同性愛者としてのアイデンティティを自覚するようになった。1963年から1967年までロンドンのキングズ・カレッジでイギリス史や美術史を専攻した後、スレイド・スクールで絵画を学ぶ。1960年代末の政治的および性的な解放の気運のなか、現代アートの画家としての活動を開始する一方で、舞台美術や衣装にも関心を示し、1968年からロイヤル・バレエ団などの衣装や美術などを担当。1971年のケン・ラッセル監督作品『肉体の悪魔』における美術監督が、映画での初仕事となった。その後も、アーティストとしての活動、舞台美術や衣装の仕事などを継続させながら、自らスーパー8ミリ(1964年にイーストマン・コダック社が発表した、50フィート・マガジン入りのフィルム)による撮影も開始。1975年にはサルデーニャ島でロケされた長編劇映画第一作『セバスチャン』を世に問う。全裸の聖セバスチャンが矢に射抜かれて処刑される場面をラストに置くこの作品では全編が同性愛的な意匠で覆われるが、同性愛を恥ずべきもの、隠すべきものとする負の刻印から解放することこそが目ざされている。シェークスピアの同名の戯曲を題材とした『テンペスト』(1979)から、異端のイタリア人画家を主人公とし、1986年のベルリン国際映画祭で銀熊賞に輝くなどジャーマンの代表作として知られる『カラヴァッジオ』(1986)まで、過剰な映像表現に彩られたジャーマンの初期劇映画作品は、いずれも西洋の古典や歴史上の偉人に、同性愛を中心としたセクュシュアリティの文脈から再解釈を施そうとする試みである。
一方、もともと画家としてキャリアを開始しているジャーマンは、イギリス最大の人気ロック・バンドだったスミスのビデオ・クリップ『ザ・クイーン・イズ・デッド』(1986)を監督するなどしながら、物語よりも映像の詩的表現を重視し、全面展開させる作品群をも生み出した。『エンジェリック・カンヴァセーション』(1985)や『ラスト・オブ・イングランド』(1987)がそうした系統の代表作である。とりわけ後者は、ともに軍人だった祖父や父が撮影したホーム・ムービーのフッテージ(既存フィルムの断片)も効果的に引用しながら、サッチャー政権下でかつての栄光をふたたび取り戻そうと夢見るイギリスにおいて、大英帝国の崩壊というマクロな局面と自身の父権的なものからの解放という個人史的局面を共振させる刺激的な内容になっている。
1986年、ジャーマンにHIV感染症陽性の診断が下される。以降、彼の仕事は内省的な傾向を深めるが、その一方で、HIVに感染した事実を隠すことなく公表することで、エイズ感染の広まりをきっかけにふたたび広がりつつあった同性愛者差別に抵抗する政治的立場も鮮明にし始める。シェークスピアと並ぶ著名なイギリスの劇作家クリストファー・マーローの戯曲を時代設定などにとらわれずに自由に脚色した『エドワードⅡ』(1991)で、同性愛者である王が権力の座から追い落とされるドラマに同時代的なゲイ・バッシングの動きを重ね合わせたことがその典型で、この時期から自伝的な内容を含む『危険は承知』At Your Own Risk(1992)などの書物の出版も行うようになり、そこでも自身のセクシュアリティと芸術の関係をめぐる記述や、同性愛者差別に対する政治的な主張が繰り広げられた。
彼が晩年を過ごしたドーバー海峡近くの小さな町ダンジネスにある自宅の庭などで撮影された映像のコラージュ『ザ・ガーデン』(1990)、同性愛者でもあった20世紀最大の哲学者を主人公とする劇映画『ヴィトゲンシュタイン』(1993)と、ジャーマンの後期作品群は初期作品にみられた過多な装飾を削ぎ落とし、禁欲的とも映る映像表現へとしだいに収斂(しゅうれん)されていき、全編青一色の画面に音楽と詩的なコメントが流れるだけの最後の作品『BLUE』(1993)へと到達していった。
[北小路隆志]
セバスチャン Sebastiane(1975)
ジュビリー 聖なる年 Jubilee(1978)
スロウン・スクエア Sloane Square : A Room of One's Own(1978)
テンペスト The Tempest(1979)
ブロークン・イングリッシュ Broken English(1979)
イン・ザ・シャドウ・オブ・ザ・サン In the Shadow of the Sun(1980)
TG サイキック・ラリー・イン・ヘブン T.G. : Psychic Rally in Heaven(1981)
パイレイト・テープ Pirate Tape(1983)
ドリーム・マシン Dream Machine(1984)
エンジェリック・カンヴァセーション The Angelic Conversation(1985)
カラヴァッジオ Caravaggio(1986)
アリア~「ルイーズ」 Aria - Depuis le jour(1987)
ラスト・オブ・イングランド The Last of England(1987)
ウォー・レクイエム War Requiem(1989)
ザ・ガーデン The Garden(1990)
エドワードⅡ Edward Ⅱ(1991)
ヴィトゲンシュタイン Wittgenstein(1993)
BLUE ブルー Blue(1993)
グリッターバグ デレク・ジャーマン1970―1986 Glitterbug(1994)
『北折智子訳『ラスト・オブ・イングランド』(1990・フィルムアート社)』▽『大塚隆史訳『危険は承知――デレク・ジャーマンの遺言』(1995・アップリンク)』
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