ジョアン

精選版 日本国語大辞典 「ジョアン」の意味・読み・例文・類語

ジョアン

  1. ( João ) ポルトガルの王の名。
  2. [ 一 ] ( 一世 ) 在位一三八五‐一四三三。アビシュ朝を創始。海外事業を推進、王子のヘンリーエンリケ)航海王に命じてアフリカ探検をはかった。(一三五七‐一四三三
  3. [ 二 ] ( 二世 ) 在位一四八一‐九五完全王と呼ばれる。アフリカ探検事業を促進。イスパニアと植民地分割線を定めた。(一四五五‐九五
  4. [ 三 ] ( 三世 ) 在位一五二一‐五七敬虔王と呼ばれる。カトリックと学芸を保護し、ブラジルなどの植民地経営にあたったが国勢は衰えた。(一五〇二‐五七
  5. [ 四 ] ( 四世 ) 在位一六四〇‐五六。回復王と呼ばれる。ブラガンサ王朝をひらく。イスパニア支配からポルトガルを独立させ、またオランダ人からブラジルの植民地を回復した。(一六〇四‐五六
  6. [ 五 ] ( 五世 ) 在位一七〇六‐五〇。寛仁王と呼ばれる。一七一三年ユトレヒト条約でフランスと講和。王立歴史アカデミーを創立し、バロック文化の隆盛をもたらした。(一六八九‐一七五〇
  7. [ 六 ] ( 六世 ) 在位一八一六‐二六。仁愛王と呼ばれる。フランスのナポレオン一世の大陸封鎖令に反抗、大敗してブラジルに亡命。本国帰還後政治改革を行ない、一八二五年植民地ブラジルの独立を承認した。(一七六七‐一八二六

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ジョアン」の意味・わかりやすい解説

ジョアン(1世)
じょあん
João Ⅰ
(1357―1433)

ポルトガル王(在位1385~1433)。アビス朝の開祖で、大王Boa Memoriaともよばれる。国王フェルナンドの異母弟にあたり、1363年アビス修道会長に任命された。83年国王の死後、摂政についた王妃レオノルは、カスティーリャ王フアン1世に嫁いだ王女ベアトリスを擁立して親カスティーリャ政策をとった。このため、ポルトガル独立の喪失を恐れた民衆から反レオノル派の指揮者に選ばれたジョアンは、カスティーリャ軍のリスボン包囲を解除させ、85年に国王に推戴(すいたい)されてアビス朝を開いた。同年アルジュバロタで侵入してきたカスティーリャ軍を破り、ポルトガルの独立を守った。その治世下に、息子のエンリケ航海王子らによって、セウタ征服に始まる海外進出政策が進められた。

[金七紀男]


ジョアン(4世)
じょあん
João Ⅳ
(1604―1656)

ポルトガル王(在位1640~56)。ブラガンサ朝の開祖。回復王o Restauradorともよばれる。スペイン支配下のポルトガル最大の貴族ブラガンサ公の子として南部の町ビラ・ビソーザに生まれる。1640年、スペイン帝国の混乱に乗じ、ポルトガルの一部の貴族がリスボンに駐在するスペイン人ポルトガル副王を追放し、60年ぶりに独立を回復、ジョアンは国王に推挙されジョアン4世として即位し、ブラガンサ朝を開いた。彼はスペインの侵入に備えて国境の防備を固める一方、イギリスに援助を求め、その代償として経済従属を深めていった。海外領ではブラジル、アンゴラをオランダ人から回復した。

[金七紀男]



ジョアン(2世)
じょあん
João Ⅱ
(1455―1495)

ポルトガル王(在位1481~95)。アビス朝第4代の王で、完全王o Perfeitoともよばれる。父王アフォンソ5世の治世下に勢力を伸張した貴族勢力を徹底的に弾圧して王権を強化し、1484年までにポルトガル絶対王制の基礎を築いた。また、エンリケ(航海王子)によって推進された海外進出政策を継承し、82年にはギニア湾のミナに商館を設置して西アフリカの金取引を恒常化した。さらに、海路でインドに到達するために新航路の開拓に努めた。彼の命を受けてディアスは喜望峰迂回(うかい)に成功し、またコビリャンらはインドの香料に関する情報を収集した。コロンブスによる新大陸「発見」により、スペインとの間にトルデシリャス条約が結ばれ、1494年に両国の間での世界分割を行った。

[金七紀男]


ジョアン(6世)
じょあん
João Ⅵ
(1767―1826)

ポルトガル王(在位1816~26)。マリア1世の子。ブラガンサ朝第7代の王で、仁愛王o Clementeともよばれる。1792年から母王マリア1世の摂政につく。ナポレオン1世の大陸封鎖令を聞き入れなかったため、1807年フランス軍の侵入を招いた。王室とともにブラジルに亡命したが、20年本国に自由主義革命が起こり、帰国後立憲王制を承認。25年には王子ドン・ペドロを擁立したブラジルの独立を承認した。

[金七紀男]


ジョアン(3世)
じょあん
João Ⅲ
(1502―1557)

ポルトガル王(在位1521~57)。アビス朝第6代の王で、敬虔(けいけん)王o Piedosoともよばれる。マヌエル1世の子。1536年宗教裁判所を設置してユダヤ人を迫害し、プロテスタント思想の侵入を防止した。設立まもないイエズス会を導入して積極的なカトリックの布教に努め、その保護下にフランシスコ・ザビエルが日本を訪れている。また、その治世下にブラジルでの植民地化が本格的に進められた。

[金七紀男]


ジョアン(5世)
じょあん
João Ⅴ
(1689―1750)

ポルトガル王(在位1706~50)。ペドロ2世の子。ブラガンサ朝第4代の王で、寛仁王o Magnânimoともよばれる。その治世下に植民地ブラジルから大量の金、ダイヤモンドが流入したため、国王はこの富を背景にルイ14世流の絶対王制を敷いた。バロック文化の最盛期を迎え、莫大(ばくだい)な富が教会への寄進やマフラ修道院の建設などに浪費され、国民経済の発展に寄与することは少なかった。

[金七紀男]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ジョアン」の意味・わかりやすい解説

ジョアン[ナバール]
Joan of Navarre

[生]1370頃
[没]1437.7.9. エセックス
イングランド王ヘンリー4世の妃。ナバール (ナバラ) 王シャルル2世の娘。 1386年ブルターニュ公ジャン4世と結婚,その死後,1403年ヘンリーと再婚。 13年ヘンリーが死に,また百年戦争中の反フランス感情の増大により魔女の容疑を受け,22年までの3年間監禁された。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

百科事典マイペディア 「ジョアン」の意味・わかりやすい解説

ジョアン[2世]【ジョアン】

ポルトガル国王(在位1481年―1495年)。貴族の反乱を抑えて国内を統一,絶対主義の基礎を固め,B.ディアスの喜望峰到達など探検航海を援助した。1494年スペインとトルデシーリャス条約を結び,新大陸の領域を画定した。

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

旺文社世界史事典 三訂版 「ジョアン」の解説

ジョアン(2世)
João Ⅱ

1455〜95
ポルトガル王(在位1481〜95)
王権の伸張を意図し,強大化していた貴族勢力の削減につとめ,絶対王政の基礎を固めて「完全王(O principe perfecto)」と呼ばれた。エンリケ航海王子の事業を引き継ぎ,アフリカ西岸の探検を推進。在位中,バルトロメウ=ディアスが喜望峰に到達(1488)し,また1494年にトルデシリャス条約をスペインと結んだ。

出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「ジョアン」の解説

ジョアン

天草種元(あまくさ-たねもと)

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

デジタル大辞泉プラス 「ジョアン」の解説

ジョアン

株式会社ジョアン・ジャポンが展開するベーカリーのチェーン。フランス発祥。

出典 小学館デジタル大辞泉プラスについて 情報

今日のキーワード

カイロス

宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、和歌山県串本町の民間発射場「スペースポート紀伊」から打ち上げる。同社は契約から打ち上げまでの期間で世界最短を目指すとし、将来的には...

カイロスの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android