マリア1世(その他表記)Maria Ⅰ

改訂新版 世界大百科事典 「マリア1世」の意味・わかりやすい解説

マリア[1世]
Maria Ⅰ
生没年:1734-1816

ポルトガル女王。在位1777-1816年。ジョゼ1世の娘。即位すると夫をペドロ3世として共同統治を行う。ポンバル侯を退けたが,彼の政策はそのまま継承された。1792年発狂して国政から遠ざけられ,ドン・ジョアン(のちジョアン6世)が摂政についた。ポルトガルは18世紀末から植民地交易と国内産業の発展でかなりの繁栄をみるが,1807年フランス軍が侵入したため,王室ブラジル亡命,以後急速に衰退した。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「マリア1世」の意味・わかりやすい解説

マリア1世
マリアいっせい
Maria I

[生]1734.12.17. リスボン
[没]1816.3.20. リオデジャネイロ
ポルトガル女王 (在位 1777~1816) 。ポルトガル王ジョゼ1世 (改革王)の娘。父の末弟叔父にあたるドン・ペドロ (ペドロ3世) と結婚 (1760) 。夫ペドロ3世と共同統治し,宰相ポンバル侯を追放した (77) 。夫と長男没後,精神に変調をきたし,1792年以降は,その子ジョアンが摂政となった。フランス軍の侵入を受け王室がブラジルに避難したとき,マリア1世も移され (1807) ,その地で没した。王位は摂政であったジョアンがジョアン6世 (温厚王) として継承した。

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367日誕生日大事典 「マリア1世」の解説

マリア1世

生年月日:1734年12月17日
ポルトガル女王(在位1777〜1816)
1816年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のマリア1世の言及

【ポルトガル】より

… 8世紀に始まるイスラム教徒に対するレコンキスタ(国土回復戦争)の進展とともに,フランスの影響下に数多くの宗教建築が建てられた。ロマネスクでは巡礼路様式のコインブラ旧大聖堂(1184),ゴシックへの移行期のシトー会様式ではアルコバーサAlcobaçaのサンタ・マリア修道院(1222)が,ゴシックではバターリャ・サンタ・マリア・ダ・ビトリア修道院(15世紀)が傑出している。この国の建築が偉大な個性を発揮したのは大航海時代で,時の王マヌエル1世(在位1495‐1521)にちなむマヌエル様式と呼ばれる建築様式が生まれた。…

※「マリア1世」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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