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ジョプリン ジョプリンJoplin

8件 の用語解説(ジョプリンの意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ジョプリン
Joplin

アメリカ合衆国,ミズーリ州南西部のオザーク高原にある都市。 1871年創設,70年に鉛,亜鉛の鉱山が発見され,1930年代までの繁栄の基礎となった。現在は農産物の加工,出荷地。ミズーリサザン州立大学 (1942創立) ,鉱物博物館などがある。人口4万 961 (1990) 。

ジョプリン
Joplin, Scott

[生]1868.11.24. テキサス
[没]1917.4.1. ニューヨーク,ニューヨーク
アメリカ合衆国の作曲家,ピアニスト。20世紀初頭に「ラグタイムの王」として名をはせた。幼少時に自宅周辺のピアノ教師らに指導を受け,1880年代半ばから中西部各地を巡業してまわった。1895年ミズーリ州のスミス大学で音楽を専攻,クラシック音楽家を目指した。自作の曲を発表し始めるとともに名声を博し,1900年セントルイスに移り住んだ。1902年に初の大曲としてラグタイム風のリズム感豊かなバレエ曲を発表し,みずから振り付けの演出も加えた。1907年にニューヨークに移り,ピアノ教則本 "The School of Ragtime"を著した。後年には演奏をピアノロール(→プレーヤー・ピアノ)に残す一方,3幕オペラに曲想をまとめた『トゥリーモニシャ』Treemonishaの制作に没頭したが,その成功にこだわるあまり神経衰弱に陥って 1911年に倒れ,1916年に施設に入った。作曲家としての評価は,1899~1909年に発表したラグタイム・ピアノの名曲『メープル・リーフ・ラグ』Maple Leaf Ragや『ジ・エンターテイナー』The Entertainer,および 1911年に自費出版した歌劇『トゥリーモニシャ』を通じて確立された。アカデミー賞受賞映画『スティング』The Sting(1973)の主題曲に『ジ・エンターテイナー』が採用されたことにより,1970年代にジョプリンとラグタイムへの関心が高まった。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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デジタル大辞泉の解説

ジョプリン(Scott Joplin)

[1868~1917]米国のピアニスト・作曲家。ジャズの源となったラグタイムピアノの代表的人物。作品に「メイプルリーフ‐ラグ」など。

出典|小学館
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百科事典マイペディアの解説

ジョプリン

米国の女性ロック歌手。1966年ビッグブラザーアンド・ザ・ホールディングカンパニーBig Brother and The Holding Companyのボーカルとしてデビュー,1967年モンテレー・ポップ・フェスティバルでの熱唱で一躍有名になった。

ジョプリン

米国の作曲家,ピアノ奏者。数多くのラグタイムを作曲したことで知られる。1899年の作品《メープル・リーフ・ラグ》が爆発的なヒットとなり,〈ラグタイム王〉と呼ばれるようになった。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
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ピティナ・ピアノ曲事典(作曲者)の解説

ジョプリン

アメリカ、テキサス生まれの作曲家・ピアニスト。「ラグタイムの王」と呼ばれる。黒人奴隷の子。西洋音楽と、黒人音楽の要素を併せ持つ音楽をめざし、これが「ラグタイム」という音楽ジャンルに結実した。1899 ...続き

出典|(社)全日本ピアノ指導者協会
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大辞林 第三版の解説

ジョプリン【Janis Joplin】

1943~1970) アメリカの女性ロック-シンガー。ビッグ-ブラザー-アンド-ザ-ホールディング-カンパニーのリード-シンガーとなり、名盤を続々発表。のち独立したが、酒と麻薬のなかで夭折。

出典|三省堂
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ジョプリン
じょぷりん
Janis Joplin
(1943―1970)

アメリカのロック歌手。1960年代のサンフランシスコのロック・シーンにおける中心的人物で、ビッグ・ブラザー&ザ・ホールディング・カンパニーの歌手、次いでソロ歌手として活躍した。同世代で最高の白人ブルース歌手であり、内面のすべてを絞り出すような劇的な歌唱で聴衆を圧倒した。
 ジョプリンはテキサス州ポート・アーサーの生まれ。レッドベリーLeadbelly(1885ごろ―1949)やベッシー・スミスのレコードに耳を傾け、ブルースに心を奪われる。1961年にオースティンのテキサス大学に進学。オースティンやヒューストンのコーヒー・ハウスやクラブで歌いはじめ、大学は中退する。63年にサンフランシスコに移り、ノース・ビーチ地区のカフェに定期的に出演するようになるが、アンフェタミン中毒になり、65年にいったん帰郷した。
 66年に再びサンフランシスコに向かい、ちょうど女性歌手を探していたビッグ・ブラザー&ザ・ホールディング・カンパニーに加わる。彼らはブルースを基盤にしながら、即興演奏を重視したサイケデリック・ロックを志向するバンドだった。同年に地元の小さなレーベルからデビュー・アルバムを発表するが、広く注目を集めたのは翌67年のモンタレー・ポップ・フェスティバルへの出演によってである。フェスティバルの記録映画にその模様が収められているように、ビッグ・ママ・ソーントンBig Mama Thornton(1926―84)の持ち歌「ボール・アンド・チェイン」を歌い、圧倒的な歌唱でジョプリンは一躍有名になった。
 客席にいたコロンビア・レコードの社長クライブ・デービスClive Davis(1934― )は「モンタレーとは、すなわちジャニス・ジョプリンだったといっていいだろう」と後に語ったように彼女のパフォーマンスに感激し、すぐに楽屋に飛んでいって契約を結ぶ。モンタレーでの評判が後押しして、翌68年に発表したアルバム『チープ・スリル』は全米アルバム・チャートの第1位に輝く大ヒット作となった。シングル・ヒットした「心のカケラ」に加え、ガーシュインの「サマータイム」の独創的な解釈も評判をとった。ただし、ジョプリンの歌唱力に比べ、ビッグ・ブラザーの演奏の稚拙さは明白で、そのアルバム発表後にジョプリンがバンドを脱退して、ソロ歌手に転じたのは必然だった。
 ジョプリンは自身のバンド、コズミック・ブルース・バンドを結成して、69年にソロ・アルバム『コズミック・ブルースを歌う』を発表したが、彼女はこのバンドにも満足できず、私生活では酒やドラッグへの依存が悪化していく。70年により理想に近いメンバーを集めたフル・ティルト・ブギー・バンドを結成。彼らの伴奏で『パール』を録音するが、完成直前の70年ハリウッドのホテル滞在中にヘロインの過剰摂取で急死した。遺作となった『パール』が発売されると、アルバムとシングル・カットされたクリス・クリストファーソンKris Kristofferson(1936― )作曲の「ミー・アンド・ボビー・マギー」がともに全米ヒット・チャート第1位に輝いた。
 ジョプリンの死後、彼女を惜しむ声に応えるように、72年にライブ・アルバム『イン・コンサート』が発売され、74年にはドキュメンタリー映画『ジャニス』(ハワード・オークHoward Alk監督)が公開された。活躍した期間は短かったが、ジョプリンは女性ロック歌手の一つの型をつくり、短くも激しく駆け抜けた生涯は神話となり、ベット・ミドラーBette Midler(1945― )主演の79年の映画『ローズ』(マーク・ライデルMark Rydell(1934― )監督)にインスピレーションを与えた。[五十嵐正]
『エリス・アンバーン著、上原英見訳『ジャニス・ジョプリン――禁断のパール』(1993・大栄出版)』
「『イン・コンサート』CD(1996・ソニー・ミュージックジャパンインターナショナル) ▽『チープ・スリル』『コズミック・ブルースを歌う』『パール』CD(以上2000・ソニー・ミュージックジャパンインターナショナル) ▽『ローズ』(ビデオ=1992・ベスト・ライブラリー、DVD=2002・20世紀フォックス ホーム エンターテインメント ジャパン)」

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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