大学事典 の解説
スタッフ・ディベロップメント
[日本におけるSD]
職員の職能開発(SD)活動に限ってスタッフ・ディベロップメント(SD)という語を用いるのが,日本では一般的な理解となっている。またSDは,教員を対象としたファカルティ・ディベロップメント(Faculty Development: FD)と対置して考えられる機会が多い。職員にとってのSD,教員にとってのFDというイメージ(区分)が定着している現状がある。
イギリスでは,職員だけでなく教員をも含む大学スタッフの資質向上をねらった活動がSDやSDU(Staff Development in University)と表現され,また活動の力点をファカルティに置くアメリカ合衆国ではFDと呼ばれるといった例示は,一般教育学会(現在の大学教育学会)が課題研究にFDを採り上げた1985年から紹介され続けてきた。にもかかわらず日本においては,大学を一体となって支えるスタッフとして職員と教員を捉え直すことや,FDを取り込んだSDという展開は思うように進まず,職員の能力開発については独自の文脈が保たれてきたといえるだろう。それは,SDと声高に叫ばれる以前より,事務組織のあり方や業務内容の精査と職員の役割について,また職員のあり方や専門的能力に関する例証といったさまざまな「職員論」を蓄積してきたからである。
[職員論の時代からSDへ]
須川義弘が「大学の事務機構」を蠟山政道編著『大学制度の再検討』に寄稿し,事務組織の問題点を列挙したのは1962年のことである。1961年には日本私立大学連盟(以下「私大連」)がスタンフォード大学における大学経営セミナーのテキストを翻訳し,『大学経営の理論と実務』を刊行している。私大連は,1957年度から76年度まで計18回にわたって教務事務研究集会を開催し,定期的に研修テキストをまとめてきた。直井豊が1961年に『私立大学教務行政概論』,69年には続編の『私立大学教務管理論』をまとめ,私大連は77年に『私立大学教務事務研究』をまとめている。また私大連の機関誌『大学時報』は,1975年5月号から9年余にわたって「大学職員入門シリーズ」を長期連載し,85年には『私立大学職員入門』として出版した。こうした私大連の活動は先駆的であり,「海外大学経営セミナー」などの研修(SD)事業も職員育成の視点で再評価されてよい。
ところで,1965年刊『日本の大学』で永井道雄が「日本の大学では,教授の地位が高く,職員はその下働きにすぎないようにみられていますが,この現状を改めるべき」と記しているように,職員の地位に関する課題を忘れてはならないであろう。この発言から十数年を経た1981年にはFMICS(高等教育問題研究会)の発足,97年には大学行政管理学会の設立があり,2000年代に入ると広島大学,名古屋大学,桜美林大学は大学院で高等教育や大学アドミニストレーションを学べる先駆けとなった。それまで研修中心であった職員育成にとって大きな変化といえる。2004年には国立大学が法人化し,いよいよ職員の能力開発はSDとして全大学の課題となるのである。
[SDの混乱]
2005年の中央教育審議会答申「我が国の高等教育の将来像(中教審答申)」では,教育の質保証という観点から評価とFDやSDが重要課題として挙げられ,付録の用語解説でSDは「事務職員や技術職員など教職員全員を対象とした,管理運営や教育・研究支援までを含めた資質向上のための組織的な取組を指す」と規定された。続く2008年の答申「学士課程教育の構築に向けて(中教審答申)」は,国公私立の大学それぞれで職員の位置付けや職員と教員との関係に違いがあると認めつつ,高度化・複雑化する大学経営において職員の職能開発(SD)が重要性を増していることについて指摘した。スタッフに教員を含み,FDを包含する意味としてSDを用いる場合(イギリスの例)もあるが,ここではFDと区別し,職員の職能開発の活動に限定してSDの語を用いたのである。SDの対象範囲が教職員全員から職員に限定されたのは,大学における現状を見据えた修正とも考えられるが,従前から実施されてきた職員に対する研修や訓練(トレーニング)といった枠組みをSDへ置換するだけに終わらせてしまうことも懸念される。
[SDと職員論の葛藤]
2008年の中央教育審議会答申本文には,職員間で起きている大学院進学や学会発足といった機運の醸成,職員が担うことを期待される新規業務の発生や伝統的業務の革新,そのような業務を担うための組織体制整備(時として教員・職員の職制区分にこだわらない),専門性ある大学職員や管理運営上級職員の養成,教職協働の確立という視点でのFDとSDの合流など,少数の大学に見られる先行する現場を観察したうえでの将来像が提言されてもいる。これらが示そうとしている,専門職(プロフェッショナル)や上級管理職(アドミニストレーター)といった職員の未来形(たとえば,教員と職員の中間的な職種の顕在化)は,職員個々の関心やキャリア充実と自身の属している組織から寄せられる期待や条件とがバランスした人事の体系,すなわち職員の職能開発(SD)によって支えられるはずのものであろう。
しかし,大学が組織的にこれに着手できているとは言い難い。個々の職員が自身の潜在的能力を開発させることに力点を置けず,組織上の責任のもとで行う研修や訓練で精一杯なのが,多くの大学の実状だからである。答申は,いわゆる一般的な職員のあり方については,個々の質を高める必要性といった表現にとどめている。用語解説では,「職員と教員(スタッフ)」を捉え直すことによる職能開発(SD)は留保され,FDとの対置がなされている。FDとの対置とは教員との対置であり,それは現行の「職員」という枠組みによって大学組織の活性化を目指す多くの大学に見られる現実であり,ここに少数の大学に見られる未来形との対立・葛藤を見ることができるといえよう。
現段階における「職員論」には,歴史的に確立されてきた人事制度や慣行に拘泥せず,これまでの研修や訓練の制度に加えて,自ら進んで自己改革しようとする職員をまずは大学組織の中に位置づけるといった職能開発(SD)の進展が求められている。
[ガバナンス改革を要請する社会]
2016年3月,大学設置基準等の改正が公布された。「大学は,当該大学の教育研究活動等の適切かつ効果的な運営を図るため,その職員に必要な知識及び技能を習得させ,並びにその能力及び資質を向上させるための研修(SD)(第25条の3に規定するものを除く。)の機会を設けることその他必要な取組を行うものとする」が改正の要綱である。改正の理由としては,大学にはさまざまな側面での改革が求められており,大学がその使命を十全に果たすためには,大学運営のあり方についての一層の高度化が必要であり,その際,個々の職員の努力に依存した取組みでは諸課題への対応に限界があるとし,各大学においては,大学を構成する職員である教員と事務職員等が大学の運営に必要な能力を身に付け,向上させるための取組みを推進する必要があると記されている。
この改正によって,SDの義務化として議論が起こりつつある。そこでは,事務職員だけでなく教員や技術職員を含んで「職員」と示される点,従前のFD(第25条の3)あるいは実施してきたSDとの棲み分けについて,大学の(教育研究活動等の適切かつ効果的な)運営に必要な能力とは何かなどが論点となるはずである。その検討は,これまで長らく続いてきた職員論やSDに対するそれにどのような影響を及ぼし,2017年4月の施行によりどのような状況が起こるか,現段階では未知数である。大学改革における多くの事項がそうであるように,大学側の論理が最優先されることはもはや少ない。職員論やSDについても同じである。教員やFDと対置された職員論やSDは,大学サイドからの主張であることが自覚化され,教職員の枠組みにとらわれることなく,大学の組織づくりに着手することが期待されている。
著者: 田中岳
参考文献: 日本高等教育学会編『スタッフ・ディベロップメント』玉川大学出版部,2010.
参考文献: 大場淳・山野井敦徳編『大学職員研究序論』高等教育研究叢書74,広島大学高等教育研究開発センター,2003.
出典 平凡社「大学事典」大学事典について 情報