セリム1世(その他表記)Selim Ⅰ

改訂新版 世界大百科事典 「セリム1世」の意味・わかりやすい解説

セリム[1世]
Selim Ⅰ
生没年:1467-1520

オスマン帝国第9代スルタン。冷酷者Yavuzとあだ名された。在位1512-20年。父はバヤジト2世,母はアイシェ・ハトン。アナトリアのアマシアで生まれた。皇子時代トレビゾンド知事となる。そのころクリム・ハーン国と結んで着々と地盤を固めた。イエニチェリ信望甚だ厚く,彼らに擁立されて1512年父帝を退位させてスルタンに即位した。8年間の短い治世におけるおもな事績は,イラン・アラブ地域への征服事業であり,14年に行われたシーア派のサファビー朝のイスマーイール1世に対する遠征では,チャルドランの戦で勝利を収めた。16-17年に行われたエジプトのブルジー・マムルーク朝のスルタン,ガウリーに対する遠征では,アレッポの北マルジュ・ダービクMarj Dābiqの戦で勝利を収め,シリアからエジプトに至る地域を属領化した。なおカイロに亡命中のアッバース朝カリフ末裔から全スンナ派の庇護者,信教首長としてのカリフの称号を譲り受け,スルタン・カリフ制が成立したが,ロードス島攻略を準備中に没した。彼は詩人としての側面もあり,学術にも関心をもち,史書を愛好した。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「セリム1世」の意味・わかりやすい解説

セリム1世
セリムいっせい
Selim I

[生]1467頃.アマスヤ
[没]1520. チョルル
オスマン帝国第9代スルタン (在位 1512~20) 。 1512年イェニチェリの支持を受けて,父バヤジッド2世を退けて即位。帝はオスマン帝国の領域拡大をもっぱら東方へ求め,チャルディラーンの戦い (14) でイランのイスマーイール1世撃破。 17年にはエジプトを征服して,アッバース朝カリフの末裔ムタワッキルからカリフ位を奪い,スルタン・カリフ制度を成立させた。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「セリム1世」の解説

セリム1世(セリムいっせい)
Selim Ⅰ

1470~1520(在位1512~20)

オスマン帝国の第9代スルタン。激しい気質のためにヤヴズ(冷酷者)のあだ名がある。1514年サファヴィー朝イランに進攻,16年シリアを攻略。翌年1月エジプトのマムルーク朝を滅ぼし,オスマン帝国をスンナ派イスラーム世界の盟主地位に押し上げた。

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世界大百科事典(旧版)内のセリム1世の言及

【チャルドランの戦】より

…1514年,トルコ東部,ワン湖北東約40kmにあるチャルドランÇaldıran(ペルシア語ではチャールデラーンChālderān)の野で行われたオスマン帝国のセリム1世とサファビー朝のイスマーイール1世との戦い。サファビー朝はシーア派イスラムを国教とし,シーア派イスラム教徒の多数住むアナトリア東部でも政治的・宗教的宣伝活動を展開,そのため同地域では反オスマン帝国の民衆暴動が頻発した。…

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