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チリ史 チリし

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

チリ史
チリし

1541年 P.バルディビアのサンチアゴ市建設を契機にスペイン人による定住植民が開始されたが,先住民アラウカノ族の激しい抵抗にあい,19世紀初頭まで開発は難航した。植民地時代は大部分ペルー副王領に帰属していたが,1798年チリ総督領に昇格し,1810年に勃発したスペインからの独立運動は,独立派の内紛から進展せず,B.オヒギンスが J.サン=マルティンの応援を得てようやく 18年にいたって独立が達成された。独立後起った自由主義派と保守派の抗争は後者の勝利に帰し,33年には保守派の手で議会制度が確立された。この制度は制限選挙に依拠する非民主的なものであったが,1924年まで維持され,政治の安定に少なからず寄与した。鉱・農業の発展を軸に経済力も強化され,国力の充実は2回にわたるペルー=ボリビア連合軍との戦争 (1836~39,79~84) を勝利へと導いた。 20世紀に入ると,大土地所有層中心の寡頭支配に対する大衆の不満が強まり,1920年代には累進課税制度が導入された。 38年には人民戦線内閣が誕生し,工業の育成に努めた。第2次世界大戦後改革を求める大衆の要求は一層熾烈となり,E.フレイ・モンタルバ大統領 (在任 1964~70) の漸進的改革を経て,70年には急進的な社会変革を志向する社共連立の S.アジェンデ・ゴセンス政権が成立,主要産業の国有化など社会主義路線を進めたが,アメリカの経済封鎖,中産階級による長期ストなどによる国内経済の破綻から,73年9月陸軍司令官 A.ピノチェト・ウガルテによるクーデターが起り,倒された。ピノチェトは,軍事革命評議会議長,次いで大統領となり,76年新憲法を発表。軍政を基盤とした反共,自由主義路線を旗印とした。 80年9月国民投票によって新憲法が承認され,ピノチェト・ウガルテ大統領は 81年からさらに8年間政権を担当した。 93年 12月の大統領選挙では中道左派のフレイ・ルイスタグレ (フレイ・モンタルバ元大統領の息子) が当選したが,いまなお右派が優位を保っており,軍部からの制約も多い。

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