オヒギンス(読み)おひぎんす(英語表記)Bernardo O'Higgins Riquelme

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「オヒギンス」の意味・わかりやすい解説

オヒギンス
O'Higgins, Bernardo

[生]1778.8.20. チヤン
[没]1842.10.24. リマ
チリ軍人政治家建国の父と呼ばれる。父親は A.オヒギンス。リマで教育を受けたのち,イギリスに留学。 F.ミランダ親交を結び,彼の独立革命の思想に共鳴。 1802年帰国して,独立運動を開始。 10年独立革命を起したが失敗,アルゼンチンの J.サン=マルティン将軍の支援を得て,17年スペイン軍を打倒,チリの総督 (1817~23) となる。 18年2月1日独立を宣言教会権限の削減,長子相続制の廃止など自由主義的な改革を目指したが,保守派の反対にあい挫折。リマで余生をおくった。

オヒギンス
O'Higgins, Ambrosio

[生]1720頃.アイルランド
[没]1801.3.18. リマ
スペインの商人,政治家,軍人。 1756年アメリカ大陸に渡り,ブエノスアイレスサンチアゴで商人として活躍。のち軍隊に入って,アウルカノ族との戦闘軍功を立て少将昇進 (1782) 。コンセプシオン知事 (86~88) ,チリ総督 (88~96) を経てペルー副王 (96~1800) となった。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「オヒギンス」の意味・わかりやすい解説

オヒギンス
おひぎんす
Bernardo O'Higgins Riquelme
(1778―1842)

チリの独立運動指導者。チリに移民した富裕なアイルランドの商人(のちペルー副王)を父にもち、チリ独立を要求する軍人たちの指導者として頭角を現した。1812年の独立評議会結成後、スペイン軍の反撃にあい、アルゼンチンに逃亡した。17年1月サン・マルティンの支援を受けてチリに進撃、18年2月独立を宣言、最高長官(在任1817~23)となったが、独立運動指導者間の内部争いのためしだいに独裁化し、23年クーデターでペルーに追われ、同地で没した。

[後藤政子]

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