ピノチェト(読み)ぴのちぇと(その他表記)Augusto Pinochet Ugarte

デジタル大辞泉 「ピノチェト」の意味・読み・例文・類語

ピノチェト(Augusto Pinochet Ugarte)

[1915~2006]チリ軍人政治家。1973年、クーデターによりアジェンデ政権を打倒し実権を握る。1974年、大統領就任新自由主義的な政策により経済成長を実現した。大統領退任後、人権侵害や公金横領の罪に問われ告発された。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ピノチェト」の意味・わかりやすい解説

ピノチェト
ぴのちぇと
Augusto Pinochet Ugarte
(1915―2006)

チリの軍人、政治家。バルパライソに生まれ、陸軍士官学校に学ぶ。同校で軍事地理や地政学を教え、『チリの地政学』などの著書がある。駐米大使館付武官を経て陸軍参謀総長となり、1973年陸軍司令官に就任し、同年9月クーデターによってアジェンデ大統領の社会主義政権を倒した。軍事評議会議長、ついで大統領として徹底した軍政(「権威主義的民主主義」と自称)を敷き、自由主義的経済政策を実施した。しかし、その人権抑圧政策は国際的にも批判を受け、経済危機や周辺諸国の民政化を背景に、国民の抵抗を受けた。1990年大統領を退任。1998年陸軍司令官も退任して終身上院議員となった。

 病気治療を目的に外交旅券でロンドン滞在中の1998年10月、軍政時代における虐殺、拷問、誘拐などの人権侵害を告発するスペイン予審判事の要請を受けたイギリス司法当局によって身柄を拘束され、スペインは身柄引渡しを要求、チリは外交官の不逮捕特権理由に帰国を求めた。当時イギリスの最高裁を兼ねていた貴族院(上院)は、逮捕は適法であると審決、当局は拘束を続けた。2000年に至ってベルギー政府や人権団体による釈放反対の動きのなか、高齢や健康悪化を理由に高等法院が釈放を決定。チリへ帰国後、殺人、誘拐、横領などさまざまな罪で告訴されていた。2006年12月、サンティアゴで死去。

[乗 浩子]

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百科事典マイペディア 「ピノチェト」の意味・わかりやすい解説

ピノチェト

チリの軍人,政治家。1973年9月,軍事クーデタでアジェンデ人民連合政権を打倒して全権を掌握,軍事評議会議長に就任。1974年大統領に就任。1980年新憲法を制定,基本的人権を大幅に制限する一方で大統領の権限を強化し,独裁体制を固めた。1988年の国民投票で,事実上の不信任を受け,1990年退任。1998年10月英国滞在中に英国警察に逮捕された。軍政期に多くの民間人(スペイン系市民を含む)を殺害した疑いで,スペイン当局が国際刑事警察機構を通じて英国政府に身柄拘束を要請したことによる。2000年3月チリに帰国し,司法当局により訴追されたが,サンティアゴ高裁は〈心身喪失状態〉とし,2005年最高裁は裁判手続きの停止を決定した。2006年12月心不全のためサンティアゴ市内の病院で死去。
→関連項目チリ

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旺文社世界史事典 三訂版 「ピノチェト」の解説

ピノチェト
Augusto Pinochet Ugarte

1915〜  
チリの軍人・大統領(在任1974〜90)
1973年のクーデタでアジェンデ政権を打倒して軍政をしき,74年より国家元首兼大統領に就任。反対派に政治的弾圧を加えて国際的非難を浴びる。1988年の国民投票に敗れて民主化移行を迫られ,大統領選挙にも敗れて,90年に民政移管した。

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