フランスのファッション・デザイナー。ノルマンディーのグランビルに生まれ,1910年に両親とパリに移住した。青春時代は芸術家の仲間に入って長い放浪時代を送り,栄養失調で倒れたこともあったという。35年から服飾デザインを始めたが,第2次世界大戦が始まると田舎にこもりインゲンマメをつくっていた。やがてパリにもどってデザイナーとして働き,46年に自分の店をもった。47年に発表した〈ニュー・ルック〉は世界的なニュースとなった。戦争にあきた人々は,布をふんだんに使った彫刻的な線をもつディオールのデザインに夢中になった。チューリップ・ライン,Hライン,Aラインと続くその後の10年間は,彼の時代であった。48年にはクリスチャン・ディオール香水会社をつくり,ファッション企業の総合化を成功させた。
執筆者:海野 弘
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フランスの服飾デザイナー。ノルマンディーのグランビルに生まれる。初め外交官を志したが、1930年代初めは画廊を経営。その後、服飾デザイナーとして出発、ロベール・ピゲ店、ルシアン・ルロン店で働く。1946年、フランスの繊維王マルセル・ブサックの後援で独立し、アベニュー・モンテーニュに店を構える。47年2月、第二次世界大戦中の厳しい衣料統制によるモードの反動として、きわめて女性的な、たっぷりと布地を使ったロングスカートの「ニュー・ルック」を発表すると、これはたちまちにして世界を風靡(ふうび)した。以後、Hライン、Aライン、Yラインなど話題作を発表。また彼は、スカーフ、靴下、ネクタイなどにオートクチュールの名をつけるライセンス・ビジネスの先鞭(せんべん)をつけ、オートクチュールを巨大企業に発展させた。同店は、89~96年ジャン・フランコ・フェレ、96年から、ジョン・ガリアーノによって受け継がれている。
[深井晃子]
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