ディオール(読み)でぃおーる(英語表記)Christian Dior

日本大百科全書(ニッポニカ)「ディオール」の解説

ディオール
でぃおーる
Christian Dior
(1905―1957)

フランスの服飾デザイナー。ノルマンディーグランビルに生まれる。初め外交官を志したが、1930年代初めは画廊を経営。その後、服飾デザイナーとして出発、ロベール・ピゲ店、ルシアン・ルロン店で働く。1946年、フランスの繊維王マルセル・ブサックの後援で独立し、アベニュー・モンテーニュに店を構える。47年2月、第二次世界大戦中の厳しい衣料統制によるモードの反動として、きわめて女性的な、たっぷりと布地を使ったロングスカートの「ニュー・ルック」を発表すると、これはたちまちにして世界を風靡(ふうび)した。以後、Hライン、Aライン、Yラインなど話題作を発表。また彼は、スカーフ、靴下、ネクタイなどにオートクチュールの名をつけるライセンス・ビジネスの先鞭(せんべん)をつけ、オートクチュールを巨大企業に発展させた。同店は、89~96年ジャン・フランコ・フェレ、96年から、ジョン・ガリアーノによって受け継がれている。

深井晃子

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「ディオール」の解説

ディオール
Dior, Christian

[生]1905.1.21. グランビル
[]1957.10.24. モンテカティーニ
フランスの服飾デザイナー。 1946年クチュリエとして独立以来,死没まで服飾界の第一人者として活躍し,パリモードを世界の女性服の規範とするのに貢献した。第2次世界大戦直後クチュールハウスを開店。 47年長いスカートとウエストを強調した優美なシルエットを発表し,ニュールックの名で世界的な流行を生んだ。以降 53年チューリップ・ライン,54年Hライン,Aライン,56年アローラインなどの変化に富んだスタイルを創作し,いわゆるアルファベットライン時代を築き,56年にはレジオン・ドヌール勲章を授与された。

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百科事典マイペディア「ディオール」の解説

ディオール

フランスの服飾デザイナー。ノルマンディー生れ。1947年長いフレアースカートをとり入れた〈ニュー・ルック〉を発表して有名になり,以後次々と新作を発表し服飾界をリードした。
→関連項目オートクチュールカルダンサン・ローランモエ・ヘネシー・ルイ・ビトン[会社]

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精選版 日本国語大辞典「ディオール」の解説

ディオール

(Christian Dior クリスチャン━) フランスの服飾デザイナー。ニュー‐ルック、アルファベットラインなどを発表。第二次大戦後の世界のファッション界をリードした。(一九〇五‐五七

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デジタル大辞泉「ディオール」の解説

ディオール(Christian Dior)

[1905~1957]フランスの服飾デザイナー。1947年にニュールックを発表、以後10年間、世界のモード界を支配した。Hライン・Aライン・Yラインなどのデザインは有名。

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世界大百科事典 第2版「ディオール」の解説

ディオール【Christian Dior】

1905‐57
フランスのファッション・デザイナー。ノルマンディーのグランビルに生まれ,1910年に両親とパリに移住した。青春時代は芸術家の仲間に入って長い放浪時代を送り,栄養失調で倒れたこともあったという。35年から服飾デザインを始めたが,第2次世界大戦が始まると田舎にこもりインゲンマメをつくっていた。やがてパリにもどってデザイナーとして働き,46年に自分の店をもった。47年に発表した〈ニュー・ルック〉は世界的なニュースとなった。

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