現代パリ・モードの代表的なデザイナー。ベネチアに生まれ,グルノーブルで育った。第2次世界大戦中,ビシーで洋裁を学び,戦後パリに出てパカンの店に入った。ここでJ.コクトー,クリスチャン・ベラール,ジャン・マレーなどの演劇人と知り合い,コクトーの映画《美女と野獣》のコスチュームをデザインした。1946年,ディオールの店に移り,共同で,〈ニュー・ルック〉ファッションを発表した。50年に自分のアトリエを開き,53年から独立でオート・クチュール(高級注文服)のコレクションに参加した。さらにいちはやくプレタポルテ(既製服)を手がけ,紳士服,子ども服の部門をつくった。カルダンは洋服のほか,食器,家具,自動車など,あらゆる分野のデザインを試みており,またコクトーとの出会い以来,舞台芸術に関心を持ち,1970年,劇場エスパース・ピエール・カルダンをつくった。
執筆者:海野 弘
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フランスの服飾デザイナー。ベネチア生まれのフランス人。パキャン、スキャパレリ店などを経て、1947年にはディオール店で、ニュールックの誕生に参画。のち独立し、1957年から矢つぎばやに斬新(ざんしん)なアイデアを打ち出し、一躍スターダムにのし上がる。1966年のコスモコール・ルックは未来的なユニ・セックス・ファッションで、宇宙時代を告げるものであった。モード界きってのアイデアマンで、オートクチュールのレーベルがついた既製服、紳士、子供を含む家族ぐるみの衣類、身の回り品、家具など生活用品に及ぶ創作活動、新しい芸術空間「エスパス・カルダン」、レストラン「マキシム」の経営など多方面に活躍。そのライセンスの販売網は全世界に広がっている。1992年、ファッション・デザイナーとしては初めてアカデミー・フランセーズ会員となった。
[深井晃子]
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