日本大百科全書(ニッポニカ) 「デトロイト・タイガース」の意味・わかりやすい解説
デトロイト・タイガース
でとろいとたいがーす
Detroit Tigers
アメリカのプロ野球球団。アメリカン・リーグ所属(中地区)。フランチャイズをミシガン州デトロイトに置き、コメリカ・パークを本拠地としている。
1881年から1888年までウォルバリンズとしてナショナル・リーグに所属した球団が前身。チームのマイナー・リーグ降格を経て、1901年にアメリカン・リーグが誕生すると同時に加盟し、現名称として発足した。1905年に、首位打者12回の「安打製造機」タイ・カップがデビューしてから強くなり、07年から3年連続リーグ優勝。しかし、いずれの年もワールド・シリーズでは勝てなかった。1924年に好打好守の二塁手チャーリー・ゲリンジャーCharlie Gehringer(1903―93)、30年にはホームラン打者ハンク・グリーンバーグHank Greenberg(1911―86)がデビュー。1934年には好捕手ミッキー・カクレーンMickey Cochrane(1903―62)が監督兼任で加入し、同年最優秀選手(MVP)に選ばれる活躍でリーグ優勝した。1935年はグリーンバーグが本塁打と打点の二冠王でMVPを受賞し、2年連続リーグ優勝。ワールド・シリーズでもシカゴ・カブスに勝ち、球団史上初の「世界一」となった。グリーンバーグは1940年も本塁打と打点の二冠王でMVPとなり、リーグ優勝に貢献した。1945年には、エースとなったハル・ニューハウザーHal Newhouser(1921―98)が投手部門のタイトルを独占しMVPとなり、チームはふたたびワールド・シリーズを制した。1968年はデニー・マクレーンDenny McLain(1944― )が最多勝利のタイトルを獲得し、サイ・ヤング賞とMVPを同時受賞して3回目の「世界一」に貢献した。1969年から両リーグ2地区制となり東地区に配属された。1972年に地区優勝、84年には名将スパーキー・アンダーソンSparky Anderson(1934― )の下でワールド・シリーズに勝ち、87年も同監督の下に地区優勝。1994年に両リーグ3地区制が導入されてからも東地区のままだったが、98年に両リーグの球団数拡張による地区再編成でミルウォーキー・ブリュワーズがナショナル・リーグへ移ったのに伴い、中地区へと所属が変わった。1999年がタイガー・スタジアム最後の年となり、2000年に現本拠地が開場した。しかしチームは、1994年以降、2005年まで勝率5割を超えることは一度もなく、長く低迷が続いた。
[山下 健]
2006年以降
2006年は、攻守の要であるイバン・ロドリゲス、FA(フリーエージェント)で獲得したマグリオ・オルドーニャスなどの活躍で地区2位に躍進。ワイルドカード(リーグごとに各地区優勝チーム以外の最高勝率チームに与えられるプレーオフ進出の権利)でプレーオフを勝ち上がり、オークランド・アスレチックスを降して22年ぶりのリーグ優勝を果たした。しかし、セントルイス・カージナルスとのワールド・シリーズに敗れ、5回目の「世界一」はならなかった。リーグ2連覇を目ざした2007年は、2位に終わった。なお、日本人選手では、木田優夫(まさお)投手(1999~2000年)、野茂英雄(のもひでお)投手(2000年)がプレー。
1901年から2007年までの通算成績は、8404勝8191敗、地区優勝3回、リーグ優勝10回、ワールド・シリーズ優勝4回。
[編集部]