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デートン和平合意 デートンわへいごういDayton Agreement

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

デートン和平合意
デートンわへいごうい
Dayton Agreement

ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争を終結させた和平合意。旧ユーゴスラビアの解体に伴い,1992年3月ボスニア・ヘルツェゴビナムスリムスラブ人のイスラム教徒)主体の政府が独立を宣言,それに反発するセルビア人クロアチア人勢力との間で三つ巴の内戦が続いた。1995年11月アメリカ合衆国の主導で紛争当時国のボスニア・ヘルツェゴビナ(ムスリム勢力),ユーゴスラビア,クロアチアの代表がアメリカのデートンの空軍基地に集まり,和平合意が成立した。これをうけて同 1995年12月14日,フランスのパリで三国が和平協定に調印,死者 20万人,難民 250万人を出した内戦に終止符が打たれた。協定は,(1) ボスニア・ヘルツェゴビナはムスリム勢力とクロアチア人勢力からなる「ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦」(全領土の 51%)と,セルビア人勢力の「セルビア人共和国」(同 49%)で構成される単一国家となり,首都サラエボはボスニア・ヘルツェゴビナ連邦に統合される。(2) 中央政府は執行機関にあたる幹部会(大統領会議),立法機関の二院制議会(→両院制),裁判所,中央銀行をもつ。ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦もセルビア人共和国もそれぞれ幹部会(大統領会議),議会をもつ。(3) 一定の期間内に自由選挙を実施する。(4) 協定実施のため北大西洋条約機構 NATOの指揮下に多国籍軍を創設する,などを骨子とした。しかし,二政体を実質的に認めたうえで統一ボスニアを目指すデートン和平合意の実現は困難をきわめ,さらに難民帰還などの問題も山積みされたままとなった。(→ユーゴスラビア史

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