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ドゥビベーディー Mahāvīrprasād Dvivedī

世界大百科事典 第2版の解説

ドゥビベーディー【Mahāvīrprasād Dvivedī】

1864‐1938
インドの雑誌編集者。ヒンディー語の近代散文の確立に大きく寄与した。現在のウッタル・プラデーシュ州の農村に生まれ,村と近くの小さな町で教育を受けたあと,父の勤めていたボンベイに出て英語,サンスクリットマラーティー語などを習得した。やがて鉄道に勤め,信号係を振出しに長年にわたり各地に転勤しながらある程度の地位についたものの,イギリスの上司との折合いが悪かったことから退職した。1903年に創刊4年目のヒンディー語総合雑誌《サラスワティー》の編集長に就任し,20年までその任にとどまって活躍した。

出典 株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ドゥビベーディー
どぅびべーでぃー
Hazrprasd Dvived
(1907―1979)

インドのヒンディー語の文学研究者、評論家、随筆家。ウッタル・プラデシュ州に生まれる。ベナレス・ヒンドゥー大学でサンスクリット、占星術などを中心とする伝統的学問を学ぶ。1931~50年シャーンティ・ニケータンでヒンディー語文学の教師となり、晩年のタゴールから感化を受ける。50年以降はベナレス、パンジャーブの大学で後進を育成した。のちウッタル・プラデシュ州ヒンディー書籍アカデミー総裁となる。代表作に『スール文学』(1936)、『ヒンディー文学序説』(1940)、『古代インドの技芸』(1940)、『カビール』(1942)、歴史ロマン『バーンバット自叙伝』(1947)、エッセイ集『アショーカの花』(1948)などのほか、『著作集』全11巻(1981)がある。[田中敏雄]

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世界大百科事典内のドゥビベーディーの言及

【インド文学】より

…彼の主張の根幹は,インドの伝統を近代の諸条件のもとで再興しようというものである。20世紀初めのドゥビベーディーは,それをさらに進めて,広い世界のなかでインドのありかたを探求する姿勢のなかから,明晰な散文文体を確立させた。【坂田 貞二】 翻訳と啓蒙の時代を経て,第1次世界大戦以降〈チャーヤーワード(陰影主義)〉という広範なロマン主義文学運動が主流となった。…

【サラスワティー】より

…さらに前代の文語ブラジュ・バーシャーに代わって共通ヒンディー語で詩作を行うことにも積極的な支援を送った。歴代の編集長にはシャームスンダルダース,マハービールプラサード・ドゥビベーディーなどがいたが,なかでも後者は1903年から20年まで在任し,この雑誌の編集を通じて文法的に安定し,論理的で明晰なヒンディー散文の確立に寄与した。この雑誌に寄稿するなかから,のちに国民的な詩人となったマイティリーシャラン・グプタ,進歩主義作家プレームチャンドなどが名編集長ドゥビベーディーの助言と添削を得てそれぞれの地歩を固めた。…

※「ドゥビベーディー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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