タゴール(読み)たごーる(英語表記)Dwarkanath Tagore

日本大百科全書(ニッポニカ) 「タゴール」の意味・わかりやすい解説

タゴール(Rabindranath Tagore)
たごーる
Rabindranath Tagore
(1861―1941)

インドの詩人、思想家、教育者。5月7日、カルカッタ(現、コルカタ)生まれ。家はベンガル地方の名家で、宗教思想家として名高い父デーベーンドラナートDebendranath Tagore(1817―1905)のもとに育ち、伝統的なインド固有の宗教、文学に親しむとともに、イギリス文学も学び、進歩的な父の思想的影響を受けた。1877年渡英し約1年滞在して帰国したが、詩人の心は憂悶(ゆうもん)に低迷した。しかし1880年、忽然(こつぜん)として世界の美と神秘が彼の心に開かれ、詩集『朝の歌』(1883)によって彼の芸術の基礎が確立された。文壇における彼の地位は安定し、叙情詩ほか小説や戯曲を多数発表するとともに、文学、宗教、教育、社会問題に関する論文も書いた。1901年、父が冥想(めいそう)の地としていたシャーンティ・ニケータンに学校を開いて子弟のため特殊な教育を行った。これが現在のビシュババーラティー大学の前身である。

 その後、彼は長編小説『ゴーラ』(1907~1909)や愛国的な詩を発表。また、1910年詩集『ギーターンジャリ』を刊行、1912年これを英訳してイギリスで発表、非常な賞賛を博して、翌1913年、東洋で初めてのノーベル文学賞を受賞した。彼はつとに東西文化の融合、思想の交流に着目し、世界各国を歴訪、日本にも3回来訪している。また、文学的活動のほか、絵も描けば音楽の造詣(ぞうけい)も深く、芸術家であると同時に実践家でもあり、教育家、社会改革論者、また独立運動を支援する愛国者でもあった。著作は多く、300を超えるといわれ、その内容も多岐にわたっているが、本領は叙情詩にあったものと思われる。彼の作品は母国語のベンガリーで書かれ、自らそれを英訳しているので、外国人の理解者も多い。1941年8月7日カルカッタで没した。

[田中於莵弥]

『『タゴール著作集』全8巻(1959・アポロン社)』『『タゴール著作集』全12巻(1981~1993・第三文明社)』


タゴール(Devendranāth Tagore)
たごーる
Devendranāth Tagore
(1817―1905)

近代インドの宗教思想家。ベンガルの大地主の家に生まれ、幼時より『ウパニシャッド』などの宗教文献に親しんだ。1839年には「真理にめざめる会」を結成、ベンガルの知識人たちを中心にインドの伝統的な民族主義思想の鼓吹に努めた。1842年には、彼はこの会を率いてR・M・ローイの宗教・社会改革団体ブラフマ・サマージに参加し、以後、社会教育活動に専念した。有名な詩人のR・タゴールは彼の息子である。

[増原良彦 2018年5月21日]


タゴール(Dwarkanath Tagore)
たごーる
Dwarkanath Tagore
(1794―1846)

インド近代産業のパイオニア、慈善事業家。詩人R・タゴールの祖父。大地主の養子として早くから英語教育を受けて育つ。地主、商人、官吏としてインジゴ栽培や銀行を設立したが、1834年イギリス人とパートナーシップを組んでカー・タゴール商会を設立。以後これを中核として、石炭、曳船(ひきぶね)、ドック、製塩、製茶などに進出。石炭と製茶は、ベンガル石炭会社およびアッサム会社として今日まで存続する。また、インドの宗教改革運動であるブラフマ・サマージ運動の熱心な支持者であり、カルカッタ(現コルカタ)の公共施設で彼の寄付によらないものはないといわれるほどの慈善事業家として知られている。

[三上敦史]

『K・クリパラーニ著、森本達雄訳『タゴールの生涯』(1979・第三文明社)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「タゴール」の意味・わかりやすい解説

タゴール
Ṭhākur(Tagore), Rabīndranāth

[生]1861.5.7. カルカッタ
[没]1941.8.7. カルカッタ
インドの詩人,哲学者,劇作家,作曲家。一般に英語なまり名によってタゴールといわれている。カルカッタの名門の出身で,インドの伝統的教育を受けるとともに,1877年イギリスに留学し,法律を学んだ。帰国後詩作に専念し,民族主義を高揚した。代表的な詩集『ギーターンジャリ』で東洋人として最初のノーベル文学賞を 1913年に受賞。また 1901年にサンティニケタン (シャーンティニケータン) に創設した学校は,1921年にビシバ=バーラティ大学となった。数多くの歌や舞踊劇をつくったが,特にベンガル地方の古い民謡をもとに,多くの新しい旋律をつくった。彼の作詩作曲した『ジャナ・ガナ・マナ』 Jana Gaṇa Manaはインド国歌となった。ほかに小説『ゴーラー』 Gorā (1910) などがある。

タゴール
Tagore, Dwarkanath

[生]1794
[没]1846.4.1.
インドの近代企業の最初の経営者。デーベンドラナートの父,ラビーンドラナート・タゴールの祖父。ベンガル東部のジェショールの出身。イギリス東インド会社の属吏をつとめるかたわら,カルカッタで事業を興した。 1834年退職後,銀行,商業,製糖,石炭,水運,船舶修理の広範な経営を行い,インド企業者の最初の成功者となり,巨万の富を築いた。教育,慈善事業に尽し,カルカッタのプリンスと呼ばれた。ラーム・モーハン・ローイの親友として,彼の社会改革・宗教改革運動に協力し,ブラーフマ・サマージの創設者の一人となり,ローイの死後,彼の跡を継いだ。 42年と 45年に2度イギリスに旅行し,2度目の旅行中イギリスで客死した。

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