ドゥボール(読み)どぅぼーる(英語表記)Guy Debord

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ドゥボール
どぅぼーる
Guy Debord
(1931―1994)

フランスの思想家、映像作家。パリ生まれ。4歳のときに父を失い、第二次世界大戦中はニースやピレネー山中に疎開し、また母の再婚など家庭の諸事情で不安定な思春期を過ごす。1945年にカンヌに転居、このころより文学や映画に強い関心をもちシネクラブに頻繁に通い始め、1948年には詩人イズーIsidore Isou(1925―2007)が創始したレトリスム(ダダイズム、シュルレアリスムを発展させたフランスの前衛芸術運動)やヨルンAsger Jorn(1914―1973)が創始した抽象美術運動コブラなど、同時代のアバンギャルド芸術の存在を知り深く共感する。1951年、バカロレア(大学入学資格)を取得してパリに移り、パリ大学法学部に登録するが大学にはほとんど通わず、イズーらと親しく交流して自主映画の上映会を行った。1952年、イズーの神秘主義的傾向に異を唱えて袂(たもと)を分かち「レトリスト・アンテルナシオナル」を結成、左派の仲間を糾合した社会・文化批評活動を開始し、さらに1957年には「シチュアショニスト・アンテルナシオナル」(SI:Situationist International)を結成、「われわれはまず世界を変革しなければならない」との一文で始まる設立宣言を起草。ドイツ、イタリア、北欧諸国にまで拡大した運動(シチュアショニスム)の中心的存在として長期にわたって活躍した。
 1967年、ドゥボールは『スペクタクルの社会』La socit du spectacleを出版する。先進諸国における大量消費やマスメディアの異常な発達を「スペクタクル」とみなして徹底的に批判、それに対抗するためには「状況situation」を構築しなければならないというその主張は、唯一のまとまった理論的著作であるこの書物のなかに込められている。資本主義社会への根底的な批判を孕(はら)みつつ、既存の左翼とも明らかに一線を画していたこの主張は1968年のパリ五月革命を予見したものとして高く評価され、同書は英語、ドイツ語、イタリア語などに翻訳され、欧米諸国で広く読まれた。また芸術の領域でも、レトリスムやコブラの影響を独自に消化したこの立場は、フルクサスやヌーボー・レアリスムといった同時代の美術の動向に大きな影響を与えた。そのほかドゥボール自身も映画や画文集を制作したり、「漂流」や「心理地理学」をキーワードとする都市論を執筆したり、SIの機関誌『ポトラッチ』Potlatchや『アンテルナシオナル・シチュアショニスト』Internationale Situationnisteを主宰するなどの多彩な活動を展開する。
 1972年、サングイネーティGianfranco Sanguinetti(1948― )との連名で論文「アンテルナシオナルにおける真の分裂」La vritable scission dans l'Internationaleを発表、運動の終息を宣言する。以後はヨーロッパの各都市を転々としながらイタリアの新左翼運動などに荷担するが、晩年には重度のアルコール性神経炎に悩み、自宅にて拳銃自殺を遂げる。スペクタクル化を嫌うあまり、1984年以後は自作の映画の公開を停止するなどメディアとの接触を極力絶っていたが、1990年代以降は、情報化社会やグローバリズムの問題を予見していた思想家として再評価の気運が著しい。[暮沢剛巳]
『木下誠訳『スペクタクルの社会』(1993・平凡社/ちくま学芸文庫) ▽ギー・ドゥボール著、木下誠訳『映画に反対して――ドゥボール映画作品全集』上下(1999・現代思潮新社) ▽木下誠監訳『アンテルナシオナル・シチュアシオニスト 1~6』(1994~2000・インパクト出版会)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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