翻訳|Nice
フランス南東部の地中海に面した世界有数のビーチリゾート、コート・ダジュール海岸の中心都市。夏のバカンスシーズンには大勢の観光客でにぎわう。人口約34万8千人(2012年)。近隣には国際映画祭で有名な都市カンヌや世界第2の小国モナコがある。イタリア国境にも近い。神奈川県鎌倉市と姉妹都市提携している。(パリ共同)
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フランス南東部、アルプ・マリティーム県の県都で、地中海岸のコート・ダジュールを代表する観光都市。イタリア国境の西32キロメートル、アンジュ湾のパイヨン川河口に位置し、西側にはバール川が流入する。フランス第5の都市で、人口34万2738(1999)、34万2522(2015センサス)。背後に海岸アルプスを控えて風光明媚(めいび)なうえ、平均気温は1月7.5℃、7月22.7℃、年平均日照2778時間と気候温暖で、避暑・避寒地として最適。別荘、ホテル、庭園、カジノのほか、19世紀にこの地を保養地として開拓したイギリス人建設のアングレー遊歩道など、保養施設が整い、夏は海水浴、冬は海岸アルプスのウィンタースポーツの基地となる。交通も至便で、空港があり、港からはコルシカ島へ定期船が就航する。切り花、香水、オリーブ油、醸造などの伝統産業に加えて、家具・セメント工業も行われる。近年では機械・電気器具工業も発達するが、産業基盤は観光に支えられている。1963年開設の花市場も知られる。
紀元前4世紀中ごろ、マッシリアMassilia(現マルセイユ)のフェニキア人植民市として開かれ、ニカイアNicaeaとよばれた。前154年ローマ人が占領、北部のケメネルムCemenelum(現ニース市内シミエCimiez)をこの地方の首都とした。後4世紀からは司教座が置かれたが、その後ゲルマン民族やイスラム教徒の侵入を受けて破壊された。970年からはプロバンス伯領となって発展、1388年からはサボイア家領、1792~1814年はフランス領となったが、最終的には1860年フランス領となった。細く屈曲した通路の旧市街には、円形闘技場、浴場などの遺跡、古い教会などが残る。イタリア統一運動(リソルジメント)の立役者ガリバルディの生地で、彼を記念するガリバルディ広場がある。地域の文化中心地として大学や博物館も多い。さまざまな年中行事のうち、1873年創始の「ニースのカーニバル」は最大のもの。
[青木伸好]
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フランス南部,アルプ・マリティム県の県都。コート・ダジュールの国際的観光都市。人口34万3166(1999)。北にアルプスの山々を控え,地形上,南仏特有の強風(ミストラル)から守られ気候は温暖である。ギリシア人の植民都市ニカイアに由来する。長くサボア領で,1860年最終的にフランス領となった。18世紀末に外国人(特にイギリス人)の避寒地として発達,19世紀には多くの王侯貴族,文人が訪れた。第2次大戦後はバカンス客でにぎわう。
執筆者:浜田 眞之
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地中海に面しイタリアに近接するフランスの港市。保養地として有名。1388年サヴォイア家に帰属してからフランスとの争奪を繰り返す。プロンビエールの密約の結果,1860年以来フランス領となる。
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