ドヌーブ(読み)どぬーぶ(その他表記)Catherine Deneuve

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ドヌーブ」の意味・わかりやすい解説

ドヌーブ
どぬーぶ
Catherine Deneuve
(1943― )

フランスの映画女優パリ生まれ。両親とも俳優で、1956年映画界入り。ロジェ・バディムに認められ『悪徳栄え』(1962)で主演以後、『シェルブール雨傘』(1963)などのミュージカルから、『昼顔』(1966)、『哀(かな)しみトリスターナ』(1970)などのルイス・ブニュエル作品、そして『終電車』(1980)などのトリュフォー作品に至るまで、美貌(びぼう)と幅広い演技で1960年代以降のフランスを代表するスターとなり、人気・実力ともに第一級。1990年代に入ってからは実年齢に応じたヒロインを演じ、ゆるがぬ人気を保っている。1998年『ヴァンドーム広場』でベネチア国際映画祭主演女優賞を受賞。ほかの代表作に『フォート・サガン』(1984)、『夜のめぐり逢(あ)い』(1988)、『インドシナ』(1992)、『私の好きな季節』(1993)、『夜の子供たち』(1996)などがある。

[畑 暉男]

『草鹿宏著『天使と悪魔のメルヘン カトリーヌ・ドヌーブ物語』(1973・集英社)』『渋沢龍彦・山田宏一編『カトリーヌ・ドヌーヴ 息吹く魅惑のエレガンス』(1987・芳賀書店)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ドヌーブ」の意味・わかりやすい解説

ドヌーブ
Deneuve, Catherine

[生]1943.10.22. パリ
フランスの女優。本名 Catherine Dorléac。ともに俳優の父モーリス・ドルレアックと母ルネ・ドヌーブの間に,4人姉妹の三女として生まれた。1960年から本格的に映画女優の仕事を始め,ジャック・ドゥミ監督の名作恋愛映画『シェルブールの雨傘』Les Parapluies de Cherbourg(1964)で一躍国際的な映画スターになった。1960~70年代は世界の一流監督の間でひっぱりだことなり,ロマン・ポランスキー監督の『反撥』Repulsion(1965)やテレンス・ヤング監督の『うたかたの恋』Mayerling(1968)などに主演。外国映画での活躍が目立ったが出演作の多くはフランスで制作され,フランソア・トリュフォー監督の『暗くなるまでこの恋を』La Sirène du Mississippi(1969)や『終電車』Le Dernier Métro(1980)などに出演した。1990年代に入ると出演作は減ったが,『インドシナ』Indochine(1992)でアカデミー賞主演女優賞にノミネートカンヌ国際映画祭パルムドールを受賞したラースフォン・トリアー監督の『ダンサー・イン・ザ・ダーク』Dancer in the Dark(2000)にも出演している。映画監督ロジェ・バディムと俳優マルチェロ・マストロヤンニとの間にそれぞれ子供をもうけており,娘のキアラ・マストロヤンニも女優。

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百科事典マイペディア 「ドヌーブ」の意味・わかりやすい解説

ドヌーブ

フランスの俳優。パリ生れ。両親はともに俳優。R.バディムが脚本を担当した《パリジェンヌ》で主役の一人となる。同監督とは恋愛関係になり子どもをもうけたが,離別。J.ドゥミ監督のミュージカル映画《シェルブールの雨傘》(1964年)で広く注目された後,同監督の《ロシュフォールの恋人たち》(1966年)で姉F.ドルレアック〔1942-1967〕と共演したほか,娼婦宿に通う人妻を官能的に演じたL.ブニュエル監督《昼顔》(1967年),F.トリュフォー監督《暗くなるまでこの恋を》(1969年)などで1960年代の代表的女優になる。F.トリュフォー監督《終電車》(1981年)でセザール主演女優賞を受賞。その後も《インドシナ》(1992年)などに出演,フランスを代表する女優として活躍している。

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