ロシュフォール(読み)ろしゅふぉーる(その他表記)Marquis de Rochefort-Luçay, Victor Henri

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ロシュフォール」の意味・わかりやすい解説

ロシュフォール(Marquis de Rochefort-Luçay, Victor Henri)
ろしゅふぉーる
Marquis de Rochefort-Luçay, Victor Henri
(1831―1913)

フランスの社会主義者、ジャーナリスト。没落した名門貴族の出身で、パリ市役所に勤務するかたわら文筆活動を行った。『シャリバリ』紙上のドーミエの漫画に付した戯文、軽演劇の台本で当りをとった。1868年、政治風刺誌『ランテルヌ』を発刊ナポレオン3世に対する辛辣(しんらつ)な攻撃によって帝政の最大の敵とみなされ、同誌に対する訴追、政敵との決闘によって、帝政に不満をもつパリ民衆の喝采(かっさい)を博した。パリ・コミューンに際しては新聞紙上で支援したため逮捕され、南太平洋に流刑囚として送られた。脱走とそれに引き続く亡命生活ののち、1880年、大赦によりパリに帰還し、社会主義系紙『アントランシジャン』を発刊して政府批判を行ったが、ブーランジェ将軍を支持して社会主義運動を離れ、さらにドレフュス事件で反ドレフュス派に加わって民衆の支持を失った。

[相良匡俊]


ロシュフォール(Christiane Rochefort)
ろしゅふぉーる
Christiane Rochefort
(1917―1998)

フランスの女流小説家。パリの生まれ。幼時から芸術に目を開く一方、不規則な学校生活を過ごし、ジャーナリズムなどの経験ののち、『戦士休息Le Repos du guerrier(1958)で華々しくデビュー。中年のアル中男と女子学生の性関係を描いて大衆的成功を収めたが(1962年にロジェ・バディムRoger Vadim(1928―2000)が映画化)、女性の立場で正面から性を扱って、社会の体制に批判を投げた点できわめて社会的問題作といえる。その後も社会の矛盾と改革への思いをしばしば子供を通して描き、写実的風俗描写の『当世の子ら』(1961)、『ソフィへのスタンス』(1963)、1968年五月革命の理想を要約するといってもよい『駐車場の春』Printemps au parking(1969)や『追いつめられた子どもたち』(1976)、『きみが女たちのところに行くとき』(1982)などがある。ほかに評論『まず子供たちが』(1976)、反自伝的自伝『わが人生、著者による校閲改訂版』(1978)などがある。

[小林 茂]

『西川祐子訳『追いつめられた子どもたち』(1978・人文書院)』


ロシュフォール(フランス)
ろしゅふぉーる
Rochefort

フランス西部、シャラント・マリティーム県の都市。人口2万5797(1999)。シャラント川右岸、河口から十数キロメートル上流にある。旧海軍基地で、現在は商港となっており、航空機産業が発達している。この港が軍港として重要視されたのは17世紀後半からで、1666年政治家コルベールによって開かれ、軍事技術家ボーバンにより要塞(ようさい)化された。1815年、ナポレオンはここからセント・ヘレナ島に流された。市立美術館、海軍士官出身の小説家ピエール・ロチの「生還の家」などがある。

[高橋伸夫]

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改訂新版 世界大百科事典 「ロシュフォール」の意味・わかりやすい解説

ロシュフォール
Henri de Rochefort-Luçay
生没年:1831-1913

フランスのジャーナリスト,政治家。早くから政治ジャーナリズムの世界に入り,共和主義の立場から第二帝政を批判し続けた。大胆な記事のゆえに《フィガロ》紙から追放され,1868年《ランテルヌ》紙を創刊,帝政攻撃のゆえに発刊停止となり禁固刑の判決を受けたが,ブリュッセルに亡命した。69年帰国するや《マルセイエーズ》紙を発刊し反帝政諸グループを結集し,他方,立法院選挙に立候補して代議士となり院内院外で反帝政運動の中心人物となった。70年9月4日の革命後国防政府の閣僚となり,71年2月の国民議会選挙で議員に選出されるが,プロイセンとの休戦が調印されるや辞任した。パリ・コミューンを支持したが,コミューン議会に立候補することは拒否した。72年ニューカレドニアに流刑されたが,74年脱出し,80年恩赦によって帰国した。85年代議士に選出され,ブーランジェ将軍を支持し,また反ドレフュス派となった。
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ロシュフォール
Rochefort

フランス中西部,シャラント・マリティム県の都市。シャラント川右岸,河口から十数kmの位置にある。人口2万7000(1990)。旧海軍基地で,現在は商港として機能し,航空機産業をはじめ機械工業が発達。空軍の技術者養成学校がある。この港が軍港として重要視されたのは17世紀後半からで,S.Le P.ボーバンにより要塞化された。ナポレオンはここからセント・ヘレナ島に流された。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ロシュフォール」の意味・わかりやすい解説

ロシュフォール
Rochefort, Victor-Henri, Marquis de Rochefort-Luçay

[生]1831.1.3. パリ
[没]1913.6.30. エックスレバン
フランスの作家,ジャーナリスト,政治家。パリ市庁舎の事務員となったが,新聞に寄稿し,作家,劇作家として知られた。 1868年『ランテルヌ (街灯) 』 La Lanterneという週刊パンフレットを発刊,第二帝政を風刺したため廃刊となり,禁錮刑を命じられたがベルギーに逃亡。 70年第二帝政の終局とともに国防政府のメンバーとなった。その後,パリ・コミューンを支持して追放されたり,G.ブーランジェ将軍を公然と支持したため,89年欠席裁判で永久追放となった。 95年許されて帰国。一時社会主義に近づいたが,ドレフュス事件では右派についた。

ロシュフォール
Rochefort, Christiane

[生]1917.7.17. パリ
[没]1998.4.24. バール,ツーロン
フランスの女流作家,ジャーナリスト。アルコール依存症の男を更生させる娘を描いた『戦士の休息』 Le Repos du guerrier (1958) で文壇にデビュー。ほかに『小世紀児たち』 Les Petits Enfants du siècle (61,ポピュリスト賞) ,ヌーボー・ロマン風の『モリソンにバラを』 Une rose pour Morrison (66) などがある。

ロシュフォール
Rochefort

フランス西部,シャラントマリティム県の港湾都市。 11世紀なかばに領主ロシュフォールがノルマン人の侵入にそなえて建設した要塞が起源で,1665年コルベールがルイ 14世の命を受けて大規模な軍港を築いてから,大西洋岸の戦略的な要地となった。その後土砂の堆積が進んで港は地方的な商港にすぎなくなったが,現在では空軍基地として重要で,航空機,機械などの工業が立地,航空機整備学校,海洋医学研究所などがある。作家 P.ロティの出身地で,その生家が保存されている。人口2万 6949 (1990) 。

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20世紀西洋人名事典 「ロシュフォール」の解説

ロシュフォール
Christiane Rochefort


1917 -
フランスの作家。
パリ生まれ。
ジャーナリズムなどの経験後、「戦士の休息」(1958年)でデビュー、大衆的成功を収める。その他の作品に写実的風俗描写の「当世の子ら」(’61年)、「ソフィヘのスタンス」(’63年)、「駐車場の春」(’69年)、「追いつめられた子どもたち」(’76年)などがある。また反自伝的自伝「わが人生、著者による校閲改訂版」(’78年)などもある。ポピュリスト賞を受賞。

出典 日外アソシエーツ「20世紀西洋人名事典」(1995年刊)20世紀西洋人名事典について 情報

デジタル大辞泉プラス 「ロシュフォール」の解説

ロシュフォール

ベルギーのサン・レミ修道院で製造されるビール。同国内に6つある修道院製造のビール(トラピストビール)のひとつ。ロシュフォール8、ロシュフォール10などがある。英語風に「ロッシュフォート」ともいう。

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