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ドリフターズ

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デジタル大辞泉プラスの解説

ドリフターズ

平野耕太による漫画作品。戦国時代の島津豊久らが異世界に足を踏み入れ、その世界で敵と戦う姿を描く。『ヤングキングアワーズ』2009年6月号から連載開始。少年画報社ヤングキングコミックス既刊2巻。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ドリフターズ
どりふたーず
Drifters

アメリカの黒人コーラス・グループ。1953年にニューヨークで結成された。ドゥーワップ・コーラスの時代からトップグループとして活躍し、その後も目まぐるしくメンバーを替えながらも息の長い活動を続けた。
 ドリフターズは、新興のレコード会社アトランティックの創立者アーメット・アーティガンAhmet Ertegun(1923―2006)によってつくられたグループだった。アーティガンがその才能に注目していたクライド・マクファターClyde McPhatter(1932―1972)のためにメンバーを集めた5人組で、彼らは「マニー・ハニー」「サッチ・ア・ナイト」などデビュー期の6曲すべてがリズム・アンド・ブルース・チャート(黒人音楽のチャート)でトップ10入りするという好調な滑り出しを果たした。とくに「マニー・ハニー」は、エルビス・プレスリーが取り上げたことにより、彼らは若い白人層にも知られる存在となっていった。
 1940年代末から1950年代にかけての黒人音楽界の動向の一つは、アメリカの多くの都市に若い黒人たちによるコーラス・グループがつくられたことである。彼らは街角で「ドゥー・ワー」という合唱を聴かせたのでドゥーワップ・グループとよばれ、またオリオールズ、フラミンゴズ、ペンギンズと鳥の名前を付けたグループが多かったことからバード・グループともよばれた。ドリフターズもこのような流れにあるグループで、しかも短命に終わることの多かった当時のコーラス・グループのなかで、1960年代中ごろまでヒット曲を量産した。
 1955年、マクファターがグループを脱退する。彼はその後、「トレジャー・オブ・ラブ」(1956)などのヒットでソロ・トップ・シンガーとなった。
 マクファターとリード・ボーカルを代わったのがジョニー・ムーアJohnny Moore(1934―1998)だった。しかしその後、ドリフターズは一時的に空中分解し(1958)、改めて新メンバーが集められ再スタートを切る。そのなかの一人がベン・E・キングBen E. King(1938―2015)で、彼は「ゼア・ゴーズ・マイ・ベイビー」のほか「ダンス・ウィズ・ミー」「ジス・マジック・モーメント」など、日本でも愛聴された名唱を残した。キングも1960年に脱退。彼はソロとして名作「スタンド・バイ・ミー」「スパニッシュ・ハーレム」を残すことになる。
 これらドリフターズ時代のキングのヒット曲は、リーバーJerry Leiber(1933―2011)&ストーラーMike Stoller(1933― )というプロの作家チームがキングと手を組んでつくったものだった。リーバー&ストーラーは、ミュージシャンによる自作自演が主流となる1970年代以前に大活躍したチームで、2人はキングが抜けたあともドリフターズのために「アップ・オン・ザ・ルーフ」「オン・ブロードウェー」「アンダー・ザ・ボードウォーク」といった永遠の名作を書いている。
 1964年、トップ40に食い込んだ「サタデイ・ナイト・アット・ザ・ムービーズ」を最後に、ドリフターズの人気は徐々に落ちていく。ドリフターズは1972年にアトランティックとの契約を解消しているが、オールディーズを歌うグループとなったあとも広範な公演活動を続けている。[藤田 正]

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