翻訳|chorus
広義には集団による歌唱の形をいうが,狭義にはいくつかの声部に分かれて歌う形,とくにその各声部が複数の歌い手で歌われる形をさす。単一声部を複数の歌い手で歌う形態を斉唱(ユニゾン),各声部をそれぞれ1人で歌う形態を重唱,また独唱と合唱が掛合いをする形態を応唱,二つあるいはそれ以上のグループが互いに掛合いをする形態を交唱または複合唱という。一般に児童合唱,男声合唱,女声合唱,混成合唱があり,声部は2からあるが,ソプラノ,アルト,テノール,バスからなる混成4部が標準とされる。同声の場合は男声4部,女声3部が多い。
合唱の起源を明らかにすることはできないが,合唱は人間の集団形成と分かちがたく存在しているものと考えられている。世界各地の民謡などには多声部のものも多く,ロシア民謡や黒人霊歌などはよく知られている。
古代ギリシア劇のコロスはユニゾンによる歌と舞踏が一体となったもので,合唱を意味するラテン語,英語のコーラス,ドイツ語のコールChor,フランス語のクールchœur,イタリア語のコロcoroの語源は,このコロスに由来する。中世には文化的中心でもあったキリスト教の典礼音楽が発達し,初期ポリフォニー音楽が生まれた。この音楽は,13世紀ころのノートル・ダム楽派や14世紀の〈アルス・ノバ〉においてひとつの頂点を作った。マショーのミサ曲やモテトゥス(モテット)がその代表例である。14世紀ころまでのポリフォニー楽曲はむしろ重唱に近く,器楽も重用されており人間の声と器楽とは対等に扱われていた。
15世紀中ごろのブルゴーニュ楽派のバンショア,デュファイなどになると,〈コロcoro〉という指定がされており,今日的な意味での合唱スタイルはこのときに始められた。しかし器楽が声楽部と重複して奏されることが普通に行われ,声楽のみで演奏されることはむしろまれである。続く16世紀のフランドル楽派はオケヘム,ジョスカン・デ・プレ,イザークらを輩出し,合唱音楽の黄金時代というにふさわしい。ブルゴーニュ楽派の時代は3声の作品が主であり,フランドル楽派になると4声に中心が移り,さらにそれ以上の声部をもつ合唱曲も作曲されるようになった。フランドル人の音楽家たちはヨーロッパ各地に迎え入れられ,その音楽様式を広めた。イタリアのパレストリーナやスペインのT.L.deビクトリアがその精華のあらわれであることはいうまでもない。またイギリスでも,チューダー朝期に英国国教会を背景とした,独特の宗教合唱曲がW.バードらによって作られている。
一方,世俗音楽もさかんに歌われており,ルネサンス期になると,イタリアのマレンツィオやジェズアルドなどのマドリガル,フランスのジャヌカンやセルミジClaudin de Sermisy(1490ころ-1562)らのシャンソン,イギリスのダウランドやモーリーThomas Morley(1557-1603)らのマドリガルなどが親しまれ,教会の典礼合唱曲が少年と男声のみで歌われたのに対し,世俗合唱曲は女性にも広く愛唱された。
17世紀から18世紀中葉までのバロック期は,器楽様式および劇様式の発達に伴って,声楽とは独立した器楽伴奏が用いられるようになり,また合唱は独唱とは異なる効果をもつようになった。イタリアのモンテベルディやドイツのシュッツらが,ルネサンスからバロックへの橋渡しに重要な役割を果たしている。オペラが市民階級の間で楽しまれるようになり,ドイツではプロテスタント教会のコラールを中心にした独自の教会音楽を発展させている。バロック後期になると,ビバルディやペルゴレーシ,パーセル,シャルパンティエ,ヘンデル,そしてJ.S.バッハらがすぐれた合唱作品を残している。バッハの200曲に余るカンタータやオラトリオ,受難曲,ミサ曲等は,ドイツ・プロテスタント教会音楽の金字塔である。
古典派・ロマン派の時代になると,音楽様式の中心は完全に器楽に移り,合唱が音楽文化の中核的位置を占める時代はすでに終わった。モーツァルトやハイドン,ベートーベンらもすぐれた合唱曲を数多く作曲しているが,合唱様式というよりむしろ器楽的な様式のうえに構成されており,典礼文を歌詞とするものも,実用的な教会音楽としてよりは,芸術作品として演奏会用に作曲されたものが多い。19世紀のドイツには,ビーダーマイヤーの文化が興り,小市民階級によって合唱がもてはやされた。アマチュアの合唱団が誕生し,そのためにやさしくしかもすぐれた合唱曲が少なからず作曲された。ドイツの作曲家・教育者であるツェルターCarl Friedrich Zelter(1758-1832)によって1809年ベルリンに結成された男性合唱団リーダーターフェルBerliner Liedertafel,フランスの音楽教育家ビレムGuillaume Louis Wilhem(1781-1842)がパリに創立した男性合唱協会オルフェオンOrphéon,イギリスに結成されたグリー・クラブなどが今日の合唱音楽にもたらした役割は大きい。日本では明治の中ごろに関西学院大学と同志社大学にグリー・クラブが誕生し,1902年に慶応義塾大学ワグネルソサエティが結成され,おもに大学合唱団が中心になっていたが,29年に創立された東京マドリガル会などをはじめ,同好の士による合唱団が生まれている。
20世紀は新旧の様式と技法の試行錯誤が行われている時代であり,合唱音楽も例外ではなく,古今東西の多種多様な手法が用いられている。また合唱の黄金期であった15~17世紀の合唱作品の再認識・再評価も積極的に行われ,レパートリーの広い演奏が行われている。
執筆者:皆川 達夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
集団による歌唱のこと。コーラス。一つの声部のみを複数の人々が歌う場合がもっとも単純な合唱の形態であるが、普通これは斉唱またはユニゾンとして区別することが多い。狭義の合唱は、複数の声部をそれぞれ複数の人々によって歌う形をいう。それには、声質の組合せ、声部の数によって、さまざまな可能性が考えられる。声質の組合せの種類は一般に、児童合唱、男声合唱、女声合唱、混声合唱に分けられる。いずれの場合も、声部の数は2声部からあるが、男声合唱は4声部、女声合唱は3声部、混声合唱は4声部(ソプラノ、アルト、テノール、バス)が標準的な形とされる。また2組の合唱を対比的に用いた二重合唱、あるいは3組以上の合唱による複合唱の形もしばしば用いられる。
合唱の起源は古く、有史以前に、すでに程度の高い合唱が行われていたことは、記録などから明らかである。古代のエジプト、ユダヤ、ギリシアなどでも優れた合唱音楽が存在していた。たとえば、ギリシアの合唱はコロスとよばれ、劇のなかなどで単旋律の形で歌われた。初期キリスト教時代から中世にかけて、ヨーロッパでは単旋律による聖歌が盛んとなり、斉唱の形態による合唱音楽の黄金時代が現出した。中世中期ごろからは、多声による狭義の合唱が教会聖歌の一形態として生まれてくるが、13世紀ごろまでの多声聖歌は、各声部を1人ずつで歌う重唱の形が多かった。多声による本格的な合唱の形が一般化してくるのは、14世紀になってからとされている。
このころから、合唱音楽は教会の典礼音楽の一つの重要な表現としてもてはやされるようになった。15世紀には、デュファイのミサ曲によって今日の概念による合唱様式が確立されるが、ジョスカン・デ・プレをはじめとする、15世紀末から16世紀にかけて活躍したフランドル楽派の作曲家たちが書いた宗教合唱曲によって、合唱音楽は黄金時代を迎えることになる。声部数は4声を中心として3声から6声、さらには8声、10声など多彩であったが、この時期の宗教合唱曲は、楽器で声部を重複させる場合が多く、人声のみによるいわゆるア・カペラ(a cappella=礼拝堂風に)の形はまれであった。ア・カペラの形は、16世紀の後半のローマで、パレストリーナのミサ曲やモテトゥスなどによって一般化した。16世紀には、シャンソン、マドリガーレ、フロットラなどの重唱の形による世俗曲が愛好されたが、今日ではこれらも合唱の形で歌うことがしばしばある。
17世紀以後のバロック時代になると、合唱は器楽伴奏付きの大規模な形に変化していった。それまでのように、ミサ曲をはじめとするカトリックの典礼音楽で、このような大規模な形態の合唱曲が好まれただけでなく、ルター派のプロテスタント教会音楽の分野でも、同様の形による教会カンタータなどが盛んにつくられた。なかでもバッハの教会カンタータにおける合唱は、バロック時代の合唱曲の白眉(はくび)といえよう。またこの時代に初めて登場したオペラやオラトリオでも、合唱は重要な役割を果たしていた。とくにカリッシミによって確立され、ヘンデルによって最高潮に達したオラトリオは、合唱曲の宝庫である。
しかし、18世紀後半の古典派の時代になると、音楽の中心ジャンルとして脚光を浴び始めた交響曲や室内楽曲などに押されて、合唱音楽の創作はあまり多く行われなくなる。それでも、ハイドン、モーツァルト、ベートーベンの作品をはじめ、いくつかの優れた合唱曲が生み出された。
19世紀に入ると、ふたたび合唱音楽がもてはやされるようになった。その背景には、中産市民階級の台頭という社会的なできごとがあったといえる。とくに、早くからこの現象がおこったイギリスでは、すでに18世紀ごろからアマチュア愛好家たちが彼らのためにつくられた世俗的合唱曲を歌っており、19世紀の合唱音楽の隆盛を準備していた。19世紀には、フランスやドイツでもアマチュア合唱運動が盛んとなり、そうした合唱団のために多くの作曲家が世俗合唱曲を書いた。それらのほとんどは無伴奏かピアノ伴奏のみによる小品であった。一方、管弦楽伴奏による大規模な合唱曲も、大作曲家たちによって多く書かれている。また、この時代の合唱曲として見逃せないのは、オペラのなかで歌われる合唱である。とくにベルディとワーグナーは、そのオペラで合唱を効果的に使用した。
20世紀も、各国でさまざまな様式による合唱曲が生み出されている。形態も無伴奏から管弦楽伴奏付きの大規模なものまで多種多様で、合唱の種々の可能性が追究されているといえる。第二次世界大戦以後は日本における創作活動も盛んで、現代日本の作曲家たちによる優れた合唱作品が次々と生み出されてきている。これには学校音楽教育の一環としての合唱活動、そしてそれに伴って発展したアマチュア合唱団の活発な運動が背景にある。さらに一方では、各国の民謡やポピュラー音楽の合唱用編曲も盛んで、合唱音楽は現在ふたたび隆盛の時代を迎えつつあるといえよう。
[今谷和徳]
『皆川達夫著『合唱音楽の歴史』(1965・全音楽譜出版社)』▽『A・ジェイコブス編、平田勝・松平陽子訳『合唱音楽――その歴史と作品』(1980・全音楽譜出版社)』
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…(1)合唱,合唱曲,合唱団のこと。(2)イギリスのエリザベス朝時代の演劇で,前口上や結びの口上を語る語り手のこと。(3)有節歌曲の繰返し(リフレイン)部。独唱者が歌う部分に対して,リフレインは合唱で歌われることが多いことからきている。(4)ジャズやポピュラー音楽のリフレイン。32小節または24ないし12小節よりなる。(5)ミュージカルやレビューなどで歌いかつ踊るコーラス・グループやダンサーのこと。【皆川 達夫】…
…声のみによるものと,器楽を伴うものとあり,母音唱法などの場合を除き,一般に言葉と結合している。演奏をする人数の点で区別すると,独唱,少人数で各声部を1人で歌う重唱(二重唱,三重唱など),多人数による合唱の別があり,また一つの作品のなかにそれらが結合した形態(ミサ曲,オペラなど)がある。 それぞれの人には固有の声の出る高低の範囲があり,女声はソプラノ(高音域),メゾソプラノ(中音域),アルト(低音域),男声はテノール(高音域),バリトン(中音域),バス(低音域)の区別があり,さらに音色の持味によって,ソプラノ・ドラマティコ(劇的表現に適している),ソプラノ・レッジェーロ(軽い性格のもの)などの区別がある。…
※「合唱」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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