日本大百科全書(ニッポニカ) の解説
ナンシー(Jean-Luc Nancy)
なんしー
Jean-Luc Nancy
(1940―2021)
フランスの哲学者。ボルドーで生まれる。ドイツのバーデンバーデン、ついでドルドーニュ県で中等教育、トゥールーズ大学とパリ大学で高等教育を受け、ポール・リクールの下でヘーゲルの宗教論に関する修士論文を提出。大学教授資格取得(1964)以後、ストラスブール大学で教鞭(きょうべん)をとる。ドイツ、ベルリン大学、アメリカ、カリフォルニア大学などにも出講。
ストラスブール大学での同僚ラクー・ラバルトPhilippe Lacoue-Labarthe(1940―2007)との共同作業は、ラカン批判である『文字の資格』Le titre de la lettre(1972)やドイツ・ロマン主義研究『文学的絶対』L'Absolu littéraire(1978)などの共著、ニーチェの『悲劇の誕生』などの共訳だけでなく、「政治的なものをめぐる哲学的研究センター」(1980~1982)やデリダをめぐるコロック(合宿討論会)「人間の諸終焉(しゅうえん)=目的」(1982)、「ヨーロッパ文学の十字路」(1988~1993)の共宰など多岐にわたっていた。
ナンシーの思想は、哲学、美学、政治の三つの領域を横断していた。哲学の領域では、形而上(けいじじょう)学の脱構築というハイデッガーあるいはデリダの哲学的要請を引き受け、デカルト、カント、ヘーゲル、ニーチェ、ハイデッガーらのテクストを考察。美学の領域では、『ミューズ』Les Muses(1994)、『隠された思考』La pensée dérobée(2001)、『イマージュの背後に』Au fond des images(2003)などの著作がある。政治の領域では、『ナチ神話』Le mythe nazi(共著、1990)、グローバリゼーション論『世界の創造』La création du monde ou la mondialisation(2002)、戦争論、移民問題論などがある。
この三つの領域の交点にあってナンシーの思想の主軸をなしていたのが、共同体論である。『声の分割』Le partage des voix(1982)、『無為の共同体』La communauté désœuvrée(1986)、『共出現』La comparution(1991)、『共同体』Corpus(1992)、『複数にして単数の存在』Être singulier pluriel(1996)等で、ハイデッガーの「共存在」から出発して、共同体を存在論的に基礎づけた。ナンシーは、古典的共同体の亡霊と主体の形而上学をともに拒否し、新たな共同体の可能性を、分割=共有(パルタージュ)とよぶ働きのうちに求めた。それは、存在者同士を分割すると同時に、それらが「共―に―あること」を可能にする、「われわれのいっさいの企てや意志や企図のはるか手前に」ある差異化―共出現の働きである。
これらのテーマは、「キリスト教の脱構築」という主題へと収斂(しゅうれん)しつつあった。まず『神的な様々の場』Des lieux divins(1997)や『訪問』Visitation(2001)等で、宗教画を導きの糸としてこのテーマへの接近が図られた。『我に触れるな』Noli me tangere(2003)でも、レンブラントの作品を論じながら、デリダのナンシー論『彼に触れる――ジャン・リュック・ナンシー』Le toucher; Jean-Luc Nancy(2000)への応答と、「復活」をめぐる議論が展開されていた。
[松葉祥一 2015年5月19日]
『ジャン・リュック・ナンシー著、庄田常勝他訳『エゴ・スム』(1986・朝日出版社)』▽『ジャン・リュック・ナンシー著、大西雅一郎訳『共同-体』(1996・松籟社)』▽『加藤恵介訳『声の分割』(1999・松籟社)』▽『ジャン・リュック・ナンシー著、西谷修訳・編『侵入者』(2000・以文社)』▽『ジャン・リュック・ナンシー著、澤田直訳『自由の経験』(2000・未来社)』▽『ジャン・リュック・ナンシー著、大西雅一郎訳『哲学の忘却』(2000・松籟社)』▽『ジャン・リュック・ナンシー著、西谷修他訳『無為の共同体』(2001・以文社)』▽『大西雅一郎訳『神的な様々の場』(2001・松籟社/ちくま学芸文庫)』▽『ジャン・リュック・ナンシー他著、大西雅一郎他訳『共出現』(2002・松籟社)』▽『ジャン・リュック・ナンシー著、大河内泰樹他訳『ヘーゲル』(2003・現代企画室)』▽『西山達也訳『訪問』(2003・松籟社)』▽『Philippe Lacoue-Labarthe, Jean-Luc NancyL'Absolu littéraire(1978, Seuil, Paris)』▽『Philippe Lacoue-Labarthe, Jean-Luc NancyLe mythe nazi(1990, Aube, La Tour d'Aigues)』▽『Philippe Lacoue-Labarthe, Jean-Luc NancyLe titre de la lettre(1990, Galilée, Paris)』▽『Les Muses(1994, Galilée, Paris)』▽『Être singulier pluriel(1996, Galilée, Paris)』▽『La pensée dérobée(2001, Galilée, Paris)』▽『La création du monde ou la mondialisation(2002, Galilée, Paris)』▽『Au fond des images(2003, Galilée, Paris)』▽『Noli me tangere(2003, Bayard, Paris)』▽『Jacques DerridaLe toucher; Jean-Luc Nancy(2000, Galilée, Paris)』