ニーチェ(読み)にーちぇ(英語表記)Friedrich Wilhelm Nietzsche

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ニーチェ」の意味・わかりやすい解説

ニーチェ
にーちぇ
Friedrich Wilhelm Nietzsche
(1844―1900)

ドイツの詩人、哲学者。ショーペンハウアーの意志哲学を継承する「生の哲学」の旗手であると同時に、キルケゴールと並んで実存哲学の先駆者ともされる。現代の精神状況に関する鋭い分析、徹底した文明批判、つまり「ニヒリズム」の摘発によって、狭義の哲学のみならず、文学を含む現代思想全般に多大な影響を与えた。しかし冷静にみれば、ニーチェの本領は単なる文明批評にではなくて、人間の究極のよりどころ、人間が人間であることに意味をあらしめている超越論的なものを、冥界(めいかい)や死のイメージ、いわゆる「背後世界」的な比喩(ひゆ)にとらわれることなく、根源の生=ディオニソス的なものとして提示した点に求められる。

[山崎庸佑 2015年3月19日]

生涯

10月15日、プロイセンザクセン州のレッケンに、ルター派の牧師の長男として生まれた。14歳のとき、ナウムブルク近郊の名門、プフォルタ学院に転校し、古典文献学の基礎的素養を修得する。1864年、同学院を卒業し、ボン大学に入学するが、1年後ライプツィヒ大学に移り、「文献学研究会」というサークルをつくる。そのころショーペンハウアーの『意志と表象としての世界』(1819)を読み感激する。1868年(24歳)尊敬する音楽家ワーグナーに会う。翌1869年4月、スイスバーゼル大学の員外教授に招聘(しょうへい)され、のちに文化史家のブルクハルトと交わる。1872年(27歳)『悲劇の誕生』を出版。1878年ワーグナーと絶交、以後その音楽を激しく非難する。この年の冬(34歳)病状悪化し、翌1879年バーゼル大学を辞職し、生涯、病苦と闘いながら、乏しい恩給を頼りに、スイスやイタリアを転々としつつ著作活動を続けることになる。1883~1885年、主著『ツァラトゥストラはこう語った』を書き上げる。1889年1月3日(44歳)イタリアはトリノのカルロ・アルベルト広場で昏倒(こんとう)し、精神錯乱のまま1900年8月25日ワイマールに没す。

[山崎庸佑 2015年3月19日]

思想――根源の存在

ニーチェの思想は、一般に、(1)根源の一者との一体化、始原のザイン(存在)への躍入として示される「ディオニソス的智慧(ちえ)」への信頼、(2)あらゆる理想への信頼と愛着を断ち切り、徹底した懐疑と冷厳な認識の自由に生きる「自由な精神」、最後に、(3)「永劫(えいごう)回帰」の境涯におけるいっさい肯定を説くツァラトゥストラ、以上三つのものによって象徴される三つの時期に区分される。最初の著作『悲劇の誕生』は、もちろん、前述の第一期を代表するものであると同時に、『ツァラトゥストラはこう語った』と並ぶニーチェ生涯の代表作でもある。『悲劇の誕生』が打ち出した決定的な新機軸は「ディオニソス的」なものにあるが、ニーチェによれば、ギリシア悲劇の根底にある芸術衝動には、過剰、陶酔、激情に向かうものと、秩序、明晰(めいせき)、静観、夢想の方向に進むものとの2種類があり、前者は酒神ディオニソスにちなんで「ディオニソス的」と称され、後者は太陽神アポロンにちなんで「アポロン的」とよばれる。音楽や舞踊はディオニソス的であり、造形芸術や叙事詩はアポロン的であるが、これら二つの衝動はギリシア悲劇においてはみごとに結合している。しかし『悲劇の誕生』は、ディオニソス的とアポロン的という2概念を駆使したギリシア悲劇成立に関する文献学上の学術論文であるという以上に、ニーチェ自身の芸術論的な形而上(けいじじょう)学、存在論の表明でもあった。本書の根本意図は、「叙情詩人の“自己”はザイン(存在)の深淵(しんえん)から響いてくるのだ。近代の美学者がいう意味でのその“主観性”は思いこみである」といわれているように、芸術の根源を主観に置く人間中心主義に逆らい、「ディオニソス的」と尊称される始原の一者、根源のザインに求めるところにある。「始原の一者」「根源の存在」「世界の心臓」は時間空間および因果のうちにある経験的事実ではないから、当然それは「現象の機関およびシンボルとしての言語」によって語るべきものではなく、本来はむしろ沈黙すべきもの、あるいは一転して「歌う」べきものである。経験的事実=現象の形式である個体化の原理(時間空間および因果)が越えられるとき、人間の内奥より、また世界そのものの内奥より湧(わ)き出てくる喜悦と恍惚(こうこつ)という性格が「ディオニソス的」なものには付きまとっていたが、過剰ゆえの苦痛であると同時に、「現象のあらゆる転変にもかかわらず不壊なる力をもち、愉悦に満ちたもの」、あらゆる文明の背後にあって不滅なるものという性格を「歌い」上げた根源の生への賛歌が後年の代表作『ツァラトゥストラはこう語った』である。

 なお、第二期の懐疑と認識と、第三期の生の再肯定をつなぐ著作として、『悦(よろこ)ばしい知識』(1882)はとくに重要である。1882年から1888年にかけて書きためられた遺稿は、一部『力への意志』に収録されている。

 ニーチェは、明治期の日本思想界に多大の影響を与えたが、ハイデッガーが大きく取り上げたことによって、再度日本の哲学者に作用を及ぼしている。

[山崎庸佑 2015年3月19日]

『吉沢伝三郎編『ニーチェ全集』全19冊(ちくま学芸文庫)』『氷上英広編『ニーチェ研究』(1952・社会思想研究会出版部)』『カルル・レーヴィット著、柴田治三郎訳『ニーチェの哲学』(1960・岩波書店)』『山崎庸佑著『人類の知的遺産54 ニーチェ』(1978・講談社)』『大石紀一郎・大貫敦子・木前利秋・高橋順一・三島憲一編『ニーチェ事典』(1995/縮刷版・2014・弘文堂)』『ホルガー・シュミット著、竹田純郎・鈴木琢真訳『ニーチェ――悲劇的認識の思想』(1996・国文社)』『薗田宗人著『ニーチェと言語――詩と思索のあいだ』(1997・創文社)』『清水真木著『岐路に立つニーチェ――二つのペシミズムの間で』(1999・法政大学出版局)』『内藤可夫著『ニーチェ思想の根柢』(1999・晃洋書房)』『マンフレート・リーデル著、恒吉良隆・米澤充・杉谷恭一訳『ニーチェ思想の歪曲――受容をめぐる100年のドラマ』(2000・白水社)』『舟越清著『ニーチェの芸術観』(2000・近代文芸社)』『リュディガー・ザフランスキー著、山本尤訳『ニーチェ――その思考の伝記』(2001・法政大学出版局)』『清水真木著『知の教科書 ニーチェ』(2003・講談社)』『山崎庸佑著『生きる根拠の哲学――ニーチェの場合』(第三文明社・レグルス文庫)』


ニーチェ(年譜)
にーちぇねんぷ

1844 10月15日、プロイセンのザクセン州の田舎町レッケンに生まれる
1858 名門プフォルタ学院に給費(奨学)生として転校
1862 「運命と歴史」を口頭発表
1864 プフォルタ学院を卒業。卒業論文はラテン文の「メガラのテオグニスについて」。10月、ボン大学に入学
1865 古典文献学のリッチュル教授と同時にライプツィヒ大学に移り、同教授の下で古典文献学を専攻。ショーペンハウアーの『意志と表象としての世界』を耽読し、深く感動
1869 古典文献学の員外教授としてバーゼル大学に赴任。5月、トリプシェンにワーグナーを訪う。ブルクハルトとの交友が始まる
1872 『悲劇の誕生』を出版。バイロイト祝祭劇場の起工式に出席
1876 病気のため大学の講義を中止。バイロイト祝祭劇に出席するが、幻滅のあまり途中でボヘミアに旅す
1878 『人間的なもの、あまりに人間的なもの』を出版。ワーグナーとの友情関係は破断する
1879 バーゼル大学を正式辞職
1881 シルバプラーナの湖畔で、永劫回帰の思想に「襲われる」。晩秋より翌1882年にかけ『悦ばしい知識』を執筆
1882 ルー・ザロメに恋愛し求婚するが、拒絶される。のちに『力への意志』で総称される遺稿群は、ほぼ本年から1888年にかけて書かれた
1883 『ツァラトゥストラはこう語った』第1部を出版
1886 『善悪の彼岸』出版
1887 『道徳の系譜』を自費出版
1888 デンマークの文芸史家ゲオルク・ブランデスより、コペンハーゲンで「ドイツの哲学者フリードリヒ・ニーチェ」について講義した旨の通知を受け、気をよくする。年末、精神錯乱の徴候
1889 トリノの広場で昏倒。知人らに妄想の表れた手紙を出す。医者の診断は「進行性麻痺症(まひしょう)」
1891 妹エリーザベト、ニーチェの作品公刊に干渉し、『ツァラトゥストラはこう語った』第4部の出版を阻止する
1894 妹、「ニーチェ文庫」を設立、ニーチェの助手格で友人のペーター・ガストを排除し、自分で全集の出版に着手
1900 8月25日、ワイマールにて死去する

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ニーチェ」の意味・わかりやすい解説

ニーチェ
Nietzsche, Friedrich (Wilhelm)

[生]1844.10.15. ザクセン,レッケン
[没]1900.8.25. ワイマール
ドイツの哲学者。 1869年バーゼル大学古典文献学教授となり,1870年普仏戦争に志願従軍,1879年健康すぐれず同大学の教授を辞任し,以後著述に専念したが,1889年精神病が昂じ,1900年に没した。アルツール・ショーペンハウアー,リヒアルト・ワーグナーの影響を受け,芸術の哲学的考察から出発し,ディオニュソス的精神からの文化の創造を主張したが,しだいに時代批判,ヨーロッパ文明批判に向かい,特に最高価値を保証する権威とされてきたキリスト教や近代の所産としての民主主義を,弱者の道徳として批判し,強者の道徳として生の立場からの新しい価値創造の哲学を,超人永遠回帰,権力への意志,運命の愛 (→アモール・ファティ ) などの独特の概念を用いて主張した。ニーチェの哲学はナチスに利用されたこともあったが,今日ではセーレン・A.キルケゴールと並んで,実存哲学の先駆者,新しい価値論の提示者として新たに照明があてられている。日本では高山樗牛以来多くの人々により紹介,翻訳されている。主著『ツァラトゥストラはかく語りき』 Also sprach Zarathustra (1883~85) ,『権力への意志』 Der Wille zur Macht (1901) ,『善悪の彼岸』 Jenseits von Gut und Böse (1886) ,『道徳の系譜』 Zur Genealogie der Moral (87) など。

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