スコットランドの宗教改革者。ハディングトン(エジンバラ東郊)郊外の農民の家に生まれる。セント・アンドリューズ大学卒業後は公証人となり、のちに聖職者となるが、信奉する宗教改革者ウィシャートGeorge Wishart(1513―1546)の火刑を契機に改革運動の指導者となる(1547)。フランス軍に捕らえられ、ガレー船で苦役に服しマリア崇拝を強制される(1547~1549)。釈放後はイングランドで宣教(1549~1554)、大陸に亡命してジュネーブで改革の現実を見聞、カルバンと親交を結び師事する。亡命者の教会で責任を果たす間に、統治者への反乱を起こす正当性を確信し、抵抗権神授論にたつ。1559年、混乱した祖国に戻り、国民を激励して宗教改革運動を成功させた。翌1560年エジンバラのセント・ジャイルズ教会の牧師として、改革派教会の樹立に努力し、1561年、カトリック女王メアリー・スチュアートのミサ施行に反対した。『スコットランド宗教改革史』History of the Reformation in Scotlandなどの著作がある。
[川又志朗 2018年1月19日]
アメリカの弁護士、政治家。会社弁護士として著名であったが、マッキンリー、T・ルーズベルト両政府の司法長官(1901~1904)となり、トラスト訴訟で活躍し、商務労働省創設にも尽力した。連邦上院議員(1904~1909)を経てタフト政府の国務長官(1909~1913)に任命され、国務省機構改革を行い、中国とラテンアメリカで「ドル外交」を推進した。とくにその満州鉄道中立化案は有名。上院議員に再選され(1917~1921)、ベルサイユ条約に反対した。
[高橋 章]
イギリス,スコットランドの宗教改革者,カルバン派のスコットランド教会の創設者。ハディントン郊外に生まれ,セント・アンドルーズ大学を卒業。カトリック聖職者,公証人となるが,1545年宗教改革者でのちに殉教するG.ウィシャートと会って回心する。一時フランス軍の捕虜となったが,49-54年イングランドで宣教。メアリー1世の迫害を避けて大陸に亡命,主としてジュネーブに滞在してカルバンの親交を得た。59年帰国して宗教改革戦争に参加し,60年におけるスコットランド教会の樹立に貢献。死の直前までエジンバラのセント・ジャイルズ教会の牧師を務めた。61年にフランスから帰国したカトリック女王メアリー・スチュアートは宗教改革を認めなかったため,これと対決した。67年に女王が退位し,その子ジェームズ6世がプロテスタント王として即位したので,ノックスの宗教改革が認められた。その間《スコットランド宗教改革史》(1584)を執筆。
執筆者:飯島 啓二
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1505~72
スコットランドの宗教改革者。一時,イングランドで活動。メアリ1世のカトリック反動の開始によって大陸に亡命。ジュネーヴでカルヴァンの教えを受け,1559年帰国。翌年,宗教改革を起こし,長老教会主義にもとづくスコットランド国教会を成立させた。
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…正式には〈神の言葉にしたがって改革された教会〉であるが〈改革された教会〉と略称する。スコットランドの宗教改革(J.ノックス)に起源をもつ教会は〈長老派教会〉と呼ばれるが,信仰内容と教会制度においては改革派と基本的に同一であり,会衆の中から選ばれた〈長老〉と牧師の会議が指導権をとり,一個人に権力を集中させない。初期指導者がすべて人文主義の出身であり,またこの派の地盤が主として西欧であったため,西欧の知的合理主義と対決折衝を重ね,西欧的民主主義の精神的基礎となる。…
…とうぜん異端との対決もさけられず,リベルタン(自由思想家)や,人文主義者で反三位一体をとなえたセルベトゥスへの過酷な処置がめだった。1549年の〈チューリヒ協定〉によってスイス改革派教会の基礎が定まってからは,カルバンは母国フランスのユグノーを助け,あるいはノックスを支援してスコットランドに長老派教会をたて,ベーズを招いて各地の大学を建立ないし改革した。カルビニズムがネーデルラントに伝わったのは1571年以後で,《ベルギー信仰告白》を生んだが,国民主義の活発なこの地域では,預定説を緩和せんとするアルミニウス派との論争が示すように,従来の厳格な形を維持することができなかった。…
…神の主権性を強調し,信徒の生活のきびしい倫理的規律を要求するカルバンの改革理念は,その不寛容のゆえにさまざまな反対勢力との闘争を余儀なくされたが,強靱な意志力をもってついにこの危機を切り抜けた。現世における〈神の栄光〉の実現をめざす行動主義は,反宗教改革の旗手たるイエズス会と戦闘的性格の点で類似しており,ジュネーブに創設された神学校は,スコットランドの宗教改革者ノックスをはじめ,多くの有能な宣教者の養成を通じて,プロテスタンティズムの拡大に大きな役割を果たした。カルビニズムは,伝統的社会秩序を重んずるルター派に比べると,資本主義的な営利活動の肯定,カトリックの君主に対する政治的抵抗を容認するなど,より自由主義的な性格をもっており,勤労者層のほか貴族の間にも支持を得て,フランスのユグノー戦争や,スペインの支配に対するネーデルラントの独立運動(八十年戦争)などで,その戦闘的なエネルギーを実証した。…
…スコットランドへのキリスト教伝道は4世紀末のニニアンNinian,アイオナ島に修道院を建立したコルンバなどケルト系の宣教師によって進められたが,11世紀以降ローマ・カトリック教会の影響下に再編された。16世紀に入ると,宗教改革を導入しようとして火刑に処せられたハミルトンPatrick Hamilton,ウィシャートGeorge Wishartの遺志を継いだJ.ノックスによってカルバン主義に基づく改革が実現し,1560年〈スコットランド信仰告白〉と〈規律の書〉による長老主義教会が確立した。1603年以降ジェームズ1世がイングランド王を兼ねたため主教制が導入されたが,37年カンタベリー大主教W.ロードによる祈禱書押しつけに反発して立ち上がり,長期議会との間に厳粛同盟を結び(1643),〈ウェストミンスター信仰告白〉と〈ウェストミンスター教理問答〉を受理して長老派教会として再建した。…
…長老主義に立つスコットランド教会が制定した最初の信仰告白。J.ノックスらによって25ヵ条にまとめられ,1560年8月,スコットランド議会によって承認された。厳格なカルバン主義に基づき,聖書の絶対的権威,信仰義認,選びの教義を強調し,真の教会のしるしとして,神の言葉の説教,聖礼典の正しい執行,教会訓練の堅持を主張している。…
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