大気中にある大気汚染物質が原因となって,人間や動植物の生命活動,建築構造物や各種材料,土壌,水圏,気圏に変化が生じ,その結果,人間社会の生産活動と再生産活動に悪影響が生ずること。これは,人間にとっての生活および財産の正当な享受が妨げられる状態を強調したものであるが,最近ではさらに広義に,植物,動物,土壌,地形,気候および水理の組合せである生態系の安定性が,人間社会の生産,流通,消費の各過程で排出される大気汚染物質によって急速に妨害されることと定義されるようになった。ここで大気汚染物質とは,通常の大気組成を変化させて人間社会や生態系に影響をあたえる程度に存在する天然もしくは人工の物質をいい,固体粒子,液体粒子,気体,あるいはこれらの混合物が含まれる。単一の物質のみからなる大気汚染物質はまれであり,一般には多くの種類と大きさからなる複合物質である。大別すると,特定の発生源から直接放出された一次汚染物質と,2種類以上の一次汚染物質による相互作用や,光化学反応などによってできた二次汚染物質がある。
火山活動や森林火災による天然起源の大気汚染は古くからあり,最近でも1980年のアメリカのセント・ヘレンズ火山噴火は,日本の冷夏にも影響を及ぼしたと考えられる。
人工起源の大気汚染には三つの歴史的段階がある。第1の段階は人類が火を制御しだした以降である。料理や暖房のとき発生したばい煙,廃棄物から発生した悪臭や細菌性浮遊物に悩まされたことが想像できよう。しかし主たる燃料は木材であって,大気汚染は局所的かつ軽微であった。
第2段階は,14世紀から20世紀前半にかけての石炭利用時代である。イギリスを例にとってみよう。エドワード1世(在位1272-1307)の時代には石炭使用に対する抗議の記録がみられ,エドワード2世(在位1307-27)時代には石炭使用で有害なにおいを出した者が拷問にかけられている。リチャード2世(在位1377-99)やヘンリー5世(在位1413-22)の時代には課税による使用制限の試みがあったが,石炭の使用は増加を続け,そして19世紀後半からの重工業の急速な発展の時代を迎える。石炭,ガス,鉄鋼,化学などの産業が成長する一方,家庭の石炭消費量も急増し,都市はばい煙でおおわれることになった。イギリスは〈アルカリ工場法〉などによってもっとも早く大気汚染規制に取り組んだ国であるが,公害の激化は対策をはるかに上回り,1952年にはスモッグの発生に伴って大量の死者を出したロンドン事件が起こっている。ヨーロッパやアメリカでも,急性の死者をだしたミューズやドノラの事件が有名である(スモッグ)。石炭使用がなかった日本では,江戸時代の佐渡金銀山や別子銅山などの坑夫が被害をうけた煙害の記録がある。明治から昭和の初期にかけては,足尾,別子,日立などの大気汚染が,煙害事件や鉱毒事件として社会問題となった。
第3段階は,第2次世界大戦以後の大気汚染である。大規模な工業地域が造成され,都市化が進み,航空機や自動車が普及するにつれて,かつて存在しなかった大気汚染物質がでるようになった。原子力開発による放射性物質,合成化学による各種化学物質,石油系燃料の大量消費による気体物質と金属物質が,大量にかつ連続的に大気中に放出されだした。二次汚染物質が増え,炭酸ガスは地球の温室効果を高める恐れもある。これらは大気の自浄作用によっても容易には減少せず,呼吸器疾患や癌の原因となって人類を脅かし,生態系の調和を乱す可能性が強くなっている。四日市や大阪西淀川の公害訴訟,アメリカのアスベストや核実験フォールアウトによる発癌問題などは,大気汚染が人間の生存を左右する社会問題となったことを示す例である。
→公害
大気汚染の程度を左右するのは,発生源から放出される汚染物質の種類と量であるが,一方その影響は,環境中に存在する各種汚染物質の濃度と持続時間という暴露条件によって決定される。発生源の状態と環境濃度を関連づけるのは気象である。風は汚染物質を運び,拡散させ,海陸風や山谷風は汚染物質を循環させる。太陽エネルギーは乱流を起こして拡散を助長するとともに,光化学反応をひき起こして二次汚染物質をつくる。雨は大気を洗浄するが酸性雨となり,霧はスモッグをひき起こす。高気圧や前線の移動は広域的な逆転層を発生させて大気汚染濃度を高める。このような機構を次にのべよう。
1gの乾燥空気が外部から熱を供給されることなく上昇すると,気圧が低くなるので膨張して気温が下がる。この割合を乾燥断熱減率といい,その値は重力加速度を空気の定圧比熱で割って求められ,0.98℃/100mとなる。気象条件によって,高さに伴う実際の気温減率がこれより小さくなると,大気は安定となり,気温は逆転しているという。その大気層を逆転層という。これより大きい場合は熱対流(自由対流)が発生し,大気の乱れは大きくなる。このような大気の熱力学的安定度は汚染物質の拡散に影響し,その端的な例は煙流の形にみられる(図1)。
大気汚染の状態は,時刻によっても変化する。よく晴れた微風の夜の地表面では,長波による夜間放射がある。大地は冷却して接地逆転が生じ,層内の汚染物質は堆積する。太陽が上ると,大地が加熱されて逆転は解消し,大気の層は不安定となって混合が起こる。この層を混合層といい,混合層の高さは午後3時ころまで上昇を続ける。地表付近の大気汚染濃度は,混合層が大きくなれば減少するが,もし上空に濃い汚染物質がある場合は,ときによって地表まで引き降ろされることがある。陽が沈むにつれて,大気は再び安定に向かう。
ここに述べた逆転層は晴夜放射性逆転であるが,そのほかには局所的な地形効果による地形性逆転,大規模な寒冷または温暖前線の移動による前線性逆転,高気圧圏内での沈降気流による沈降性逆転がある。沈降性逆転と霧の発生が重なると,大気汚染気象にとって最悪の条件ができる。すなわち霧の層の上面で太陽光が反射され,同時に霧の層からは熱が放射され,層の上部付近の逆転が強化される。この逆転現象は高気圧がなくなるまで昼夜にわたって続くことがあり,層内で大気汚染物質の放出があれば,霧粒子と反応して毒性が強まり,スモッグが長く持続する。
粒径が10μm以上の比較的大きい大気汚染物質は,主として重力落下により地表面へ沈着する。1μm以下のサブミクロン粒子や気体物質は,衝突,乱流拡散,分子拡散,静電力効果,化学反応,植物呼吸,降雨洗浄などの作用によって地表面に沈着する。この作用は大気の自浄作用であるが,一方では土壌や水環境を汚染し,建築物や文化遺産を破壊し,農作物や森林をいためる原因となる。汚染物質の大気中への放出速度が大気の自浄作用速度をこえると,大気汚染は全地球的なスケールで増加する。成層圏に放出される超音速ジェット機の窒素酸化物や,溶剤,冷媒につかわれて地表から拡散するフッ化炭化水素類(商品名フレオン)はオゾン層を破壊する恐れがある。また20世紀に入ってからの化石燃料の大量消費は,大気中の炭酸ガス濃度をゆっくりと上昇させている。炭酸ガスによる温室効果が地球規模で気温を上昇させるという推定もある。
以上の大気汚染の機構を純理論的に記述するには,物質,運動量,エネルギーおよび状態に関する各方程式の総合解を求めなければならない。しかし実際には,大気の動きの非定常性と不均一性,初期条件と境界条件の複雑さのために,物質保存の基礎式のアンサンブル平均をとって拡散方程式を作り,さらに計算簡略化のために種々の仮定を設けて解をもとめている。最近では大型高速コンピューターを利用した解法の試みが盛んであるが,現実の大気汚染との差は大きい。
栃木県の渡良瀬川に沿って足尾町に入ると,赤茶けた岩山が姿を見せる。明治時代から続いた銅の製錬により,硫黄酸化物を含むばい煙が山を荒らし,坑木や燃料として森林が伐採された結果である。山火事も広範な山林を奪い,その後の新芽はばい煙のために育たず,土も酸性化してはがれ落ち,岩山の緑化も困難である。このような大気汚染被害をうける植物の影響には,壊死,白化,萎縮の3種類がある。特殊な影響には,光合成率や酵素作用の低下,呼吸作用の異常促進,細胞膜の合成阻害,組織のpH変化,原形質の分離などがある。自然界全体としては,樹木の活力を低下させるとともに,植物に依存している土壌中の小動物に悪影響を与え,生態系の連鎖を破壊する。
人の健康と大気汚染の暴露との関係は複雑である。最近では,新しい物質が含まれた複合大気汚染の影響が注目されているが,その全容の解明には至っていない。影響解明の困難さの理由は,人の生体反応に幅広いスペクトルがあること,生体反応に寄与する因子が多いこと,複合汚染物質の暴露量が正確に評価できないこと,人体実験ができないことなどである。そのため現在では,疫学的手法を用いた研究が行われている。それによれば,大気汚染暴露による急性影響には,(1)慢性疾患にかかった弱者集団の過剰死亡,(2)心肺疾患にかかった老人が受けるより強い影響,(3)慢性呼吸器疾患者の症状の悪化,(4)急性呼吸器疾患の罹患率増大,(5)目や呼吸器の刺激症状の有症率増大などがある。一方,慢性的な影響には,終局的には閉塞性肺疾患およびそれによる死亡がある。その前駆的兆候としては視神経や呼吸器の機能低下があるが,人口集団全体の影響は図2のように考えられている。またベンツピレン,アスベスト,放射性物質,ヒ素,クロム,ニッケルなどの発癌性の疫学的証明もすすんでいる。動物実験では,重金属,多環芳香族炭化水素(PAH),タール物質,硫黄酸化物や窒素酸化物などの発癌性や変異原性が認められている。
大気汚染測定の目的には,(1)特定発生源による汚染状況の把握,(2)環境基準の適合状況の判定,(3)高濃度急性被害防止の緊急時対策,(4)環境管理計画の樹立とその評価などがある。これらの目的によって,測定の対象となる大気汚染物質,測定場所,大気の採取方法,濃度の測定方法,測定期間および測定値に要求される精密さや正確さの精度が規定される。また大気汚染の程度は,発生源の状態と気象条件に依存して時々刻々と変化するために,環境濃度は一般に,これら発生源と気象の情報とあわせて測定される。濃度の測定方法は化学的分析法と機器分析法に大別できる。前者には比色法,容量法(酸およびアルカリ滴定),検知管法などがある。後者にはガスクロマトグラフィー,分光分析法(可視,紫外,赤外),ポーラログラフィー,原子吸光法,発光分光法,質量分析法などがある。大気汚染に敏感な反応を示す樹木や植生を指標植物とする測定法も有効である。
大気汚染の防止対策には,発生源対策と工場立地規制を含む地域計画がある。発生源対策では,公害防止装置の設置,原料・燃料の転換などの発生源防除技術の採用がもっとも有効であり,次いで高煙突による拡散希釈が効果的である。ただし高煙突による対策は,汚染物質の総量が減らないため,二次汚染物質を増加させたり,広域的汚染を発生させたりすることがある。緊急時には,生産や交通を一時的に停止あるいは縮小させることもある。戦前戦後の経験に照らせば,工場の立地が計画的に行われ,発生源防除技術の採用が徹底して実施されれば,被害を最小にすることができる。発生源での除去方法には,重力沈降を利用する集塵,遠心力を利用するサイクロン集塵,バグフィルターなどのフィルター集塵,電気集塵機などの静電沈着集塵,超音波凝集集塵,充てん塔やスプレー塔などの洗浄除去,気体-固体吸着除去などがあり,副産物の処理処分の可能性や経済性などを考慮して各工業プロセスに適用される。防止対策の到達目標は,環境基準の達成と維持であることが一般的である。そのための政策手段として,個別の発生源に対する排出規制,特定地域に対する総量規制および立地規制がある。経済政策としては,価値法則から脱落する社会的費用を発生源者に負担させるPPP(汚染原因者負担の原則)がある。
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
自然または人工的な原因によって大気が汚染されることをいう。空気汚染ともいう。一般に、汚染された大気中では、塵埃(じんあい)、煙、微生物などの固形質が浮遊したり、通常の空気を組成する気体以外のガス状質が混在して、汚染を形成している。このように大気を汚染している物質を汚染質といい、汚染質の発生源を汚染源という。
[股野宏志]
汚染源は、火山の噴火などの自然的なものと、燃料の燃焼などの人為的なものとに大別される。昔は石炭がおもなエネルギー源として使用されたため、煤煙(ばいえん)や煤塵(ばいじん)など固形質が主要な汚染質であったが、1950年代以降は石油類が多量に消費され、硫黄(いおう)酸化物などガス状質が主要な汚染質となっている。煤煙や硫黄酸化物のように、汚染源から排出されてそのまま汚染質となるものを一次汚染質という。一方、汚染源から排出されたあと、大気中で反応を受け、まったく別な物質の汚染質となったものを二次汚染質という。自動車や工場などから排出された炭化水素と窒素酸化物が、太陽の紫外線による光化学反応をおこしてつくりだすオキシダントは二次汚染質である。汚染質は大気中で、風によって風下に運ばれ、風の乱れによって広く拡散されるほか、重力によって沈降し、降水によって洗浄される。汚染質の濃度は気象条件によって大きく左右される。気象条件からみて高い濃度の大気汚染がおこる可能性を大気汚染ポテンシャルという。一般に、高い濃度の大気汚染がおこりやすいのは、風が弱く、接地逆転が形成されているときである。つまり、汚染質が地面近くの気層に閉じ込められるような場合である。このような気象条件は、高気圧に関連することが多いが、弱い気圧の谷や前線に関連することもある。汚染質の濃度と気象条件との関係は、地形の影響も加わって、かなり複雑である。
[股野宏志]
工場敷地の選定や都市計画にあたって、適切な汚染対策を行うためには、精密な大気汚染気象調査が必要である。また、有効な大気汚染ポテンシャル予報を行う場合にも、この種の調査が必要である。これには総観的な気象状態(気圧配置や前線の位置など)に基づき、対象地域の風向、風速、気温の鉛直分布、逆転層の形成と維持および解消、弱風の継続時間、海陸風その他の局地風の特性などについて十分な調査が行われる。1970年代以降は、適当な境界条件を与えて数値シミュレーションを行い、その結果を予報に反映する方法がおもに用いられている。
汚染質の濃度を推定する場合の実際的な大きな困難は、汚染質が大気の拡散や大気の流れによって運ばれる過程で、汚染源からの主軸の方向が複雑に変化するために、汚染空間を精確に特定できないことである。また、汚染質の滞空時間が長く、汚染質が長距離輸送されて汚染空間が国際的に広がった場合には、汚染問題の解決に国際的な協力が必要である。このため、世界気象機関(WMO)は1960年代に汚染観測網を国際的に整備するとともに、人間の社会活動に伴う気候の無意識な人為的変動を評価して地球環境を保全することを目的に、1979年に世界気候計画を正式に発足させた。そして同年の第1回気候会議以後、10年ごとに世界気候会議が開催され、10年間の世界気候計画の進行状況の評価や今後の推進方法の策定などが行われている。
[股野宏志]
『河村武著『大気環境論』(1987・朝倉書店)』▽『岡本真一・市川陽一・長沢伸也著『環境学概論』(1996・産業図書)』▽『ジェーン・ウォーカー著、西田紀子訳『大気汚染』(1996・偕成社)』▽『多賀光彦監修、片岡正光・竹内浩士著『酸性雨と大気汚染』(1998・三共出版)』▽『定方正毅著『大気クリーン化のための化学工学』(1999・培風館)』▽『公健協会企画、大気環境学会史料整理研究委員会編『日本の大気汚染の歴史』全3冊(2000・ラテイス、丸善発売)』▽『若松伸司・篠崎光夫著『広域大気汚染――そのメカニズムから植物への影響まで』(2001・裳華房)』▽『環境保全対策研究会編『大気汚染対策の基礎知識』2訂版(2001・産業環境管理協会)』▽『大気汚染法令研究会編『日本の大気汚染状況』各年版(ぎょうせい)』
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
(畑明郎 大阪市立大学大学院経営学研究科教授 / 2007年)
出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報
大気が,人為的あるいは自然現象により,粉じん,排煙,化学物質などの汚染物質により汚染されること.ヒトの健康や農作物などの植物に害を与えるだけでなく,生態系や地球環境にも大きな影響を与えて問題となっている.人為的なものには,工場や事業所から排出される硫黄酸化物などのガスや浮遊粒子状物質の排出や,自動車からの窒素酸化物の排出がある.自然現象には,火山活動による火山灰や有毒ガスの噴出がある.現在,二酸化硫黄,二酸化窒素,一酸化炭素,オキシダント,浮遊粒子状物質,ベンゼン,トリクロロエテン,テトラクロロエテン,ジクロロメタン,ダイオキシン類など10種類の排出基準が定められている.硫黄酸化物や窒素酸化物は,酸性雨や光化学スモッグの原因となり,二酸化炭素の増加は地球温暖化を招き,フロンガスの排出によりオゾン層が破壊されている.工場,事業所,自動車などの排出ガスを規制するものに大気汚染防止法がある.
出典 森北出版「化学辞典(第2版)」化学辞典 第2版について 情報
…公害の語源は明らかではないが,日本の法制上登場するのは,明治10年代の大阪府の大気汚染規制のための府令(のちの条例)や同20年代の〈河川法〉以降である。この場合の公害は〈公益〉の反対概念であったが,やがて大正期に入ると,地方条例の中で,今日と同じように,大気汚染,水汚染,騒音,振動,悪臭などによる公衆衛生への害悪を総称して公害と呼んでいる。…
…大気汚染,水質汚染,土壌汚染,騒音・振動など公害を原因または補助因として起きた疾病。日本独特の用語で,外国ではhealth effects of environmental pollutantsなどの言葉が用いられるが,特定の言葉はない。…
※「大気汚染」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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