スコットランド教会(読み)スコットランドきょうかい

改訂新版 世界大百科事典 「スコットランド教会」の意味・わかりやすい解説

スコットランド教会 (スコットランドきょうかい)

スコットランドへのキリスト教伝道は4世紀末のニニアンNinian,アイオナ島に修道院を建立したコルンバなどケルト系の宣教師によって進められたが,11世紀以降ローマ・カトリック教会の影響下に再編された。16世紀に入ると,宗教改革を導入しようとして火刑に処せられたハミルトンPatrick Hamilton,ウィシャートGeorge Wishartの遺志を継いだJ.ノックスによってカルバン主義に基づく改革が実現し,1560年〈スコットランド信仰告白〉と〈規律の書〉による長老主義教会が確立した。1603年以降ジェームズ1世がイングランド王を兼ねたため主教制が導入されたが,37年カンタベリー大主教W.ロードによる祈禱書押しつけに反発して立ち上がり,長期議会との間に厳粛同盟を結び(1643),〈ウェストミンスター信仰告白〉と〈ウェストミンスター教理問答〉を受理して長老派教会として再建した。名誉革命(1688)後,〈スコットランドの教会〉としての地位を不動のものとして今日に至っている。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「スコットランド教会」の意味・わかりやすい解説

スコットランド教会
スコットランドきょうかい
Church of Scotland

スコットランドにおいて長老制をとる教会をいう。その信条によれば,使徒的,普遍的カトリック教会の一部とされる。スコットランドには,ローマのブリタニア占領末期に大陸からブリタニア人の聖ニニアヌス (400頃) ,アイルランドからは聖コルンバヌス (563頃) らがキリスト教を伝え,いわゆるケルト教会に属する教会が成立,ローマ教会との密接な関係のもとに発展した。王権が勝った 16世紀にはフランス王室の支配下にあり,宗教改革は解放運動と結びついて展開した。初めルター派の影響下にあったが,のち J.ノックスによってカルバン主義が有力となり,主教制か長老制かをめぐって,特に前者をとる王権と後者に傾く議会との間に長い間紛争が続いた。 A.メルビルの努力もあって,1592年長老制が一応認められたが,同様な争いはその後も王権との間に繰返され,1638年および 43年に長老制を守る盟約が王と議会との間に成立した。しかし王の違約とそれへの議会の妥協を不満として,急進的なカベナンター (契約派) はスコットランド国教会を離脱した。それとともに 19世紀には海外への伝道も行われ,インドがその主要舞台となった。しかし 19世紀から 20世紀にかけて再び教会合同機運が高まり,1929年にスコットランド教会として結集した。世界教会協議会メンバーであり,32年以来イギリス国教会との対話も進められている。

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世界大百科事典(旧版)内のスコットランド教会の言及

【ノックス】より

…イギリス,スコットランドの宗教改革者,カルバン派のスコットランド教会の創設者。ハディントン郊外に生まれ,セント・アンドルーズ大学を卒業。…

※「スコットランド教会」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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