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ハラム Hallam, Arthur Henry

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ハラム
Hallam, Arthur Henry

[生]1811.2.1. ロンドン
[没]1833.9.15. ウィーン
イギリスの詩人,随筆家。 H.ハラムの子。テニソンの親友でテニソンの『イン・メモリアム』は若くしてウィーンで客死したハラムに捧げられた哀歌である。『遺稿集』 Remains (1834) がある。

ハラム
Hallam, Henry

[生]1777.7.9. バークシャー,ウィンザー
[没]1859.1.21. ケント,ペンズハースト
イギリスの歴史家。 1799年オックスフォード大学を卒業して弁護士を開業,その後歴史研究に専念,『中世ヨーロッパ観』 The View of the State of Europe during the Middle Ages (1818) ,『イギリス国制史』 Constitutional History of England (27) ,『15~17世紀ヨーロッパ文学序説』 Introduction to the Literature of Europe in the 15th,16th and 17th Centuries (37~39) などを著わした。終生ホイッグ党の支持者として奴隷貿易廃止を擁護した。

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百科事典マイペディアの解説

ハラム

英国の歴史家。聖職者の家に生まれ,イートンからオックスフォード大学に学び,はじめは法廷弁護士を開業し,印紙税徴収委員を務めた。父の遺産によって歴史研究を志し,《中世ヨーロッパの状態概説》(1818年)を公刊

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世界大百科事典 第2版の解説

ハラム【Henry Hallam】

1777‐1859
イギリスの歴史家。弁護士,印紙税徴収委員の後,父の遺産相続をきっかけに1812年に歴史学に専念し,《中世紀ヨーロッパ状態概観》(1818)を公刊。主著《ヘンリー7世即位からジョージ2世崩御に至るまでのイングランド憲法史》2巻(1827)は,ホイッグ党支持者としての偏りが強いが,初めてイングランド政治制度に首尾一貫した法的解釈を施した試みとして評価されている。【小山 貞夫】

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367日誕生日大事典の解説

ハラム

生年月日:1777年7月9日
イギリスの歴史家
1859年没

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世界大百科事典内のハラムの言及

【ハラーム】より

… ハラームは,メッカのカーバを囲む聖所がマスジド・アルハラーム(聖モスク)と呼ばれるように,神聖不可侵を意味する。ハラームと同じ語根から派生したハラムḥaramは,流血・殺生・伐採禁断の地,つまり聖域を意味し,前イスラム時代にはメッカ周辺の地がハラムとされ,イスラム時代には,メディナ周辺の地,およびエルサレムの岩のドーム,アクサー・モスクを含む区域もハラムとされた。ハレム【後藤 晃】。…

※「ハラム」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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