精選版 日本国語大辞典 「ケント」の意味・読み・例文・類語
ケント
けん‐と
- 〘 副詞 〙 無愛想なさま、とりつくすべもないさまを表わす語。
- [初出の実例]「気だて、あまり。けんとしすぎて。あしし、少もむくやぎなし」(出典:評判記・満散利久佐(1656)吉田)
アメリカのプロ野球選手(右投右打)。本名Jeffrey Franklin Kent。大リーグ(メジャー・リーグ)のトロント・ブルージェイズ、ニューヨーク・メッツ、クリーブランド・インディアンス、サンフランシスコ・ジャイアンツ、ヒューストン・アストロズ、ロサンゼルス・ドジャースでおもに二塁手としてプレー。中距離打者だが、チャンスでの強さが際だっており、1997年から10年間で100打点以上を8回も記録している。
3月7日、カリフォルニア州ベルフラワーで生まれる。カリフォルニア大学から1989年、ドラフト20巡目指名を受けてブルージェイズに入団、91年までマイナー・リーグに在籍し、92年の開幕から大リーグに定着したが、シーズン途中でメッツへトレードされた。1996年にもシーズン途中でインディアンスへトレードされ、さらに97年にジャイアンツに移籍したが、これが転機となった。勝負を避けられた強打者バリー・ボンズを塁に置いての打席が多くなってチャンスが増大した結果、打点121をマークし、強打者として認知されるようになった。2000年には、自己最高の打率3割3分4厘、33本塁打、125打点、さらに盗塁12も決め、最優秀選手(MVP)にも選ばれた。2002年は自己最多のホームラン37本を打ったが、翌03年にはアストロズに移籍した。2004年には打線の主軸として勝負強さをみせ、107打点をたたき出し、プレーオフ進出の立役者の一人となった。同年オフにFA(フリーエージェント)として、ドジャースに移籍した。2005年はホームラン29本を放つなど中心打者としての役割を果たしたが、06年は故障がちで、ホームランを14本しか打てず、9年連続20本以上の記録も途切れてしまった。
[出村義和]
2007年は136試合に出場、打率3割2厘で自身3回目の3割台をマーク。20本のホームランを打ち、通算ホームラン350本を記録した。
2007年までの通算成績は、出場試合2177、安打2338、打率2割9分、本塁打365、打点1459。獲得したおもなタイトルは、MVP1回。
[編集部]
イギリス、イングランド南東部のカウンティ(県)。県都メードストン。面積3543平方キロメートル、人口132万9653(2001)。1998年メドウェイ・タウンズ地区がユニタリー・オーソリティー(一層制地方自治体)として分離した。ヨーロッパ大陸に近く、先史時代やローマ時代の居住の名残(なごり)が数多くみられるグレート・ブリテン島の先進地域で、七王国の時代には現在の区域とほぼ同じ所にケント王国があった。その首都カンタベリーは、6世紀の王がカトリック教を導入したことからキリスト教の中心地となっている。ノースダウンズとよばれる白亜紀の丘陵が東西に走り、東端に白い海食崖(がい)が形成されているが、大部分は平地で、古くから農業が卓越し、15世紀ごろにはフランドル人が羊毛工業を移入、現在も牧羊・牧牛が盛んである。1960年代初めには全土の約半分が耕地で、ロンドンに近いため近郊農業、酪農、ホップ栽培などが行われ、果樹園も多い。美しい自然景観に恵まれ、「イギリスの庭園」ともよばれ、観光地としても知られる。北部テムズ川沿いには、製紙、化学、造船などの工業もある。
[井内 昇]
ローマの占領時代にこの地には居留地が設けられ、カンタベリーを中心とする道路もつくられた。5世紀にゲルマンの民族移動が始まると、ヘンギストとホルサに率いられたジュート人の一団が渡来して初めてこの地に定着し、6世紀末にはアングロ・サクソン七王国(ヘプターキー)の一つケントの王エセルバートEthelbert(Aethelberht)王(552?―616、在位560~616)がほぼ現在のカウンティに一致する範囲に勢力を張り、アウグスティヌス(カンタベリーの)によるローマ・カトリック教会の布教を歓迎してキリスト教に改宗し、カンタベリーに最初の教会堂を建てた。しかしその後ケント王国は振るわず、8世紀中葉にはマーシア王国に包含され、825年にはウェセックス王エグベルトの王国に編入された。11世紀のノルマン人の征服以後、ケントはカンタベリーへの巡礼と大陸との交通路としてにぎわいをみせ、海岸線には防衛施設もつくられた。なおケントは、歴史的にみて他のカウンティとは違った社会構造をもち、比較的富裕な中小の土地所有者が多く、1381年のワット・タイラーの乱の舞台となり、エリザベス朝から17世紀にかけて多くの大邸宅が建造された。
[今井 宏]
イギリス,イングランド南東端にある州。中世のアングロ・サクソン七王国の一つ,ケント王国の支配領域を指す歴史的地方名でもあり,ケルト語で〈辺境〉を意味するcanto-に由来する。シェピー島などの島嶼を含めて面積3732km2,人口137万(2005)で,州都はメードストン。北はテムズ川エスチュアリー(三角江)に,南東はドーバー海峡に面し,大陸との接点をなす。州の中央部を白亜質のノース・ダウンズ丘陵が東西に走り,その両側にはメドウェー川,ストゥア川流域を中心に粘土層の低地が広がる。こうした肥沃な河谷では,やや大陸的な気候を利用して穀類栽培のほか,ホップ,リンゴ,野菜などの市場園芸が発達しており,また丘陵部やロムニー湿地は有数の牧羊地域となっている。沿岸漁業も盛んで,特にロチェスター付近のカキ養殖はローマ時代から有名である。地下資源では南部のウィールド丘陵の鉄鉱石が古代から,東部のケント炭田が20世紀になってから開発されている。このためかつては鉄鉱と木炭を利用した製鉄,フランドルから移住した職人による毛織物,またケント紙で知られる製紙などの工業が栄えていた。現在はテムズ川,メドウェー川河口部のグレーブゼンド,チャタムなどに造船,機械,セメントを中心とする重工業が集中している。またグレーン島には大規模な精油所がある。
大陸に近接するため,しばしばイギリスへの侵入路として利用され,前55年にはカエサルが,また5世紀中葉にはユート人が上陸してきた。中世のケント王国はカンタベリーを都として最も早く統一を完成し,6世紀後半のエセルバート王時代には最盛期を迎えて,キリスト教の導入や法典の編纂が行われた。9世紀初めにはウェセックス王国の支配下に入るが,均分相続などの独特な社会制度,農地制度はその後も残存した。
執筆者:長谷川 孝治
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イングランド南東部のアングロ・サクソン七王国の一つ。5世紀にジュート人が建国,都はカンタベリ(ケントの城市の意)。6世紀末エセルベルト王のときが最盛期で,イングランドで初めてキリスト教を導入。以後衰え,9世紀からイングランド王国に編入された。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
…世界最大のイギリスのタバコ・メーカーで,300以上の銘柄をもつ。なかでも〈ケントKent〉〈クールKool〉〈ラッキー・ストライクLucky Strike〉などが有名。本社ロンドン。…
…(4)放牧地帯 かつてケルト制度と呼ばれる粗放穀草式農業の地域であったペナイン山脈やコーンウォール半島では,湿潤な高原が永久草地として羊や肉牛の放牧に利用されている。(5)園芸農業地帯 南部海岸,ケント,フェンランド,ヨーク河谷などの飛地的地域では,それぞれの優れた気候,土壌,市場条件を背景に,促成野菜,果樹,花卉(かき),ホップなどの栽培が行われている。 次に鉱業に関してみると,全体に斜陽化が顕著である。…
…5~9世紀にかけて,イングランドに渡来・定着したアングロ・サクソン人が形成した小部族王国。東南部のケント(ジュート人が建国),テムズ川下流を占めたエセックス,西部に発展したウェセックス,南部のサセックス(以上サクソン族が建国),東部のイースト・アングリア,中部のマーシア,北部のノーサンブリア(以上アングル族が建国)の7国をいう。これら諸国は先住のブリトン人と戦って征服をすすめる一方,相互の間でも覇権をめぐって抗争し,6世紀末にはエゼルベルフト(エセルバート)王(在位560‐616)治下のケントが有力になった。…
…ユート人ともいう。原住地はユトランド半島であったが,民族大移動期の5,6世紀にグレート・ブリテン島の南東部に渡来してケント王国を建て,一部はさらにワイト島やその対岸地方にも移動定着した。同じ時期にグレート・ブリテン島に移ったアングル人,サクソン人などとともにアングロ・サクソン人を構成するが,ジュート人の定着したケント地方は,古くはフランク人の影響と思われる精巧な工芸手法や,また中世においては男子均分相続などにみられる相続慣行,その他土地制度,法慣習など,前2者に対する独自性を長く保持した。…
…この設計は最初ブリッジマンCharles Bridgeman(?‐1738)によって行われ,彼は庭と外界の境に一種の堀割であるハハーHahahを導入して,何さえぎるものなく眺望が周囲の自然にとけ込んでいくように工夫した。ストーは以後,ブリッジマンと協同したバンブラー,ケント,ギブズ,ブラウンといった名手たちがつぎつぎに手を加えた記念碑的な庭園となる。風景式庭園のさまざまな相を一つに集めた庭として,いまに伝えられている。…
※「ケント」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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