デジタル大辞泉
「ハラム」の意味・読み・例文・類語
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ハラム
Henry Hallam
生没年:1777-1859
イギリスの歴史家。弁護士,印紙税徴収委員の後,父の遺産相続をきっかけに1812年に歴史学に専念し,《中世紀ヨーロッパ状態概観》(1818)を公刊。主著《ヘンリー7世即位からジョージ2世崩御に至るまでのイングランド憲法史》2巻(1827)は,ホイッグ党支持者としての偏りが強いが,初めてイングランド政治制度に首尾一貫した法的解釈を施した試みとして評価されている。
執筆者:小山 貞夫
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ハラム
Hallam, Henry
[生]1777.7.9. バークシャー,ウィンザー
[没]1859.1.21. ケント,ペンズハースト
イギリスの歴史家。 1799年オックスフォード大学を卒業して弁護士を開業,その後歴史研究に専念,『中世ヨーロッパ観』 The View of the State of Europe during the Middle Ages (1818) ,『イギリス国制史』 Constitutional History of England (27) ,『15~17世紀ヨーロッパ文学序説』 Introduction to the Literature of Europe in the 15th,16th and 17th Centuries (37~39) などを著わした。終生ホイッグ党の支持者として奴隷貿易廃止を擁護した。
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ハラム
英国の歴史家。聖職者の家に生まれ,イートンからオックスフォード大学に学び,はじめは法廷弁護士を開業し,印紙税徴収委員を務めた。父の遺産によって歴史研究を志し,《中世ヨーロッパの状態概説》(1818年)を公刊。主著《ヘンリー7世即位からジョージ2世崩御に至るイングランド国制史》(1827年)は,著者のホイッグ党支持の立場からする偏向が強いが,法律家の目でチューダー朝以降のイングランドの政治制度をはじめて通して概観したものとして貴重な試みであった。
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ハラム
生年月日:1777年7月9日
イギリスの歴史家
1859年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
世界大百科事典(旧版)内のハラムの言及
【ハラーム】より
… ハラームは,メッカの[カーバ]を囲む聖所がマスジド・アルハラーム(聖モスク)と呼ばれるように,神聖不可侵を意味する。ハラームと同じ語根から派生したハラムḥaramは,流血・殺生・伐採禁断の地,つまり聖域を意味し,前イスラム時代にはメッカ周辺の地がハラムとされ,イスラム時代には,メディナ周辺の地,およびエルサレムの岩のドーム,アクサー・モスクを含む区域もハラムとされた。[ハレム]【後藤 晃】。…
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