ハールーンアッラシード(英語表記)Hārūn al-Rashīd

デジタル大辞泉 「ハールーンアッラシード」の意味・読み・例文・類語

ハールーン‐アッラシード(Hārūn al-Rashīd)

[766?~809]アッバース朝第5代のカリフ。在位786~809年。王朝全盛期を代表する君主領土を拡大し、学芸奨励。「千夜一夜物語」に登場

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改訂新版 世界大百科事典 「ハールーンアッラシード」の意味・わかりやすい解説

ハールーン・アッラシード
Hārūn al-Rashīd
生没年:766-809

アッバース朝第5代カリフ。在位786-809年。生年は763年の説もある。この王朝の全盛期を代表する君主で,797,803,806年の3回にわたってビザンティン帝国親征,屈辱的講和条件を与えたが,対内的には相次ぐ反乱鎮圧に苦慮した。内政では,最初の17年間はバルマク家一門を重用したが,その権勢があまりにも強大になりすぎたために,803年にこれを断絶させ,自ら政治に臨んだ。《千夜一夜物語》の登場人物としても有名
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世界大百科事典(旧版)内のハールーンアッラシードの言及

【オランダ美術】より

… ネーデルラントはブルゴーニュ公国時代に一大発展を遂げて経済的・文化的隆盛を極めるが,北部は後進的な地位にとどまっていたため,優れた芸術家はしばしば国外に活躍の場を求めた。ハールレムが生んだオランダ最大の彫刻家C.スリューテルは国際ゴシック様式にくみせず堂々たる量感に富んだ石彫像を制作して新たな写実主義への道を開いたが,もっぱらフランスのディジョンで活動したため出身地にはほとんど影響を残していない。絵画においてもミニアチュール画家としてフランスの宮廷で活躍したマルーエルJan Malouel(?‐1415)とランブール兄弟,ルーバンで市の画家を務めたバウツなどは,北部の出身であるにもかかわらず,通常はそれぞれフランスおよびフランドル美術史の中に位置づけられている。…

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