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カリフ カリフcaliph

翻訳|caliph

8件 の用語解説(カリフの意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

カリフ
カリフ
caliph

「代行者」「後継者」を意味するアラビア語ハリーファ khalīfaのなまったもの。預言者マホメットの没後,アブー・バクルイスラム社会の最高指導者に選ばれたとき (632) ,彼は称号として「神の使徒 (マホメット) の後継者」 khalīfa rasūl Allāhを用いた。

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朝日新聞掲載「キーワード」の解説

カリフ

アラビア語で「後継者」の意味。イスラムの開祖ムハンマドの死後、イスラム共同体を政治と宗教の両面で率いる指導者を選び、カリフと呼んだ。1922年にオスマン帝国が滅亡しカリフ制も終わった。イスラム主義者には穏健、過激にかかわらず「カリフ制再興」を唱える声が根強くある。

(2014-07-01 朝日新聞 朝刊 1外報)

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デジタル大辞泉の解説

カリフ(calif/caliph)

預言者ムハンマド(マホメット)の後継者の意で、イスラム国家最高権威者の称。スンニー派では、イスラム共同体(ウンマ)の合法的な政治的指導者をさしたが、13世紀半ばに廃絶。ハリファ。

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百科事典マイペディアの解説

カリフ

初期イスラムの最高指導者の称号。アラビア語で正しくはハリーファkhalifa。本来は〈代理者〉〈継承者〉を意味し,632年ムハンマドの没後アブー・バクルが教団の指導者となった時採用された。
→関連項目ISアイユーブ朝アッバース朝アムラ城アリーイスラム文化イマームウマイヤ朝カーディーバグダディハールーン・アッラシードフサインマフディー

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デジタル大辞泉プラスの解説

カリフ

イタリアのマセラティが1988年から1993年まで製造、販売していた乗用車。2ドアクーペの高級スポーツカー

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世界大百科事典 第2版の解説

カリフ【caliph】

アラビア語ではハリーファkhalīfaといい,元来は〈継承者〉〈代理者〉を意味するが,通常は初期イスラム国家の最高権威者を指す。ムハンマドは後継者を指名せずに死んだので,イスラム教団は一時分裂の危機にしたが,結局アブー・バクル忠誠の誓いを立て,彼が指導者となった。その時〈神の使徒(すなわちムハンマド)の代理〉という意味でハリーファ・ラスール・アッラーkhalīfa rasūl Allāhと称したのがカリフの呼称の最初である。

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大辞林 第三版の解説

カリフ【caliph】

〔元来アラビア語で後継者の意〕
ムハンマドの死後、全イスラム教徒を統率した、宗教上・政治上の最高権威者。一三世紀に廃絶。ハリファ。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

カリフ
かりふ
caliph

イスラム教の預言者ムハンマド(マホメット)没後の、イスラム社会の最高指導者をいう、イスラム政治学での用語。アラビア語ではハリーファkhalfa(継承者、代理人)といい、カリフはその英語なまりである。実際の最高指導者は「信徒の長(アミール・ル・ムーミニーン)」と称することが多く、カリフという称号が用いられた例はかならずしも多くない。
 最初の4代のカリフは、神に正しく導かれたカリフという意味で正統カリフとよばれ、その時代は正統カリフ時代(632~661)とよばれる。ついでウマイヤ家がカリフ位を独占するウマイヤ朝(661~750)、さらにアッバース家がカリフ位を独占するアッバース朝(750~1258)と続いた。10世紀から11世紀にかけての時期は、アッバース家のカリフに対抗して、ファーティマ朝の君主と後(こう)ウマイヤ朝の君主もカリフを称し、イスラム世界に3人のカリフが並存する時代であった。その両王朝が滅亡したのちは、各地で実質的に独立していたイスラム王朝は、アッバース家のカリフとしての権威を認めたが、アッバース朝滅亡後はその実質的な意味を失った。19世紀末から第一次世界大戦の時代に、オスマン・トルコ皇帝がカリフと称して全イスラム勢力の結集を試みたが失敗した。[後藤 明]

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世界大百科事典内のカリフの言及

【イスラム】より

…当時メディナにも70人余りのムスリムがおり,イスラムはわずか150人ほどの信者をもってその紀元(ヒジュラ暦)元年を迎えたのである。 ムハンマドの没後,新しい指導者としてアブー・バクルをカリフに選び定めたムスリムは,その指導のもとに大規模な征服を開始した。彼らは7世紀の半ばまでにササン朝の全領土を併せ,シリアとエジプトをビザンティン帝国から奪った。…

【セリム[1世]】より

…16‐17年に行われたエジプトのブルジー・マムルーク朝のスルタン,ガウリーに対する遠征では,アレッポの北マルジュ・ダービクMarj Dābiqの戦で勝利を収め,シリアからエジプトに至る地域を属領化した。なおカイロに亡命中のアッバース朝カリフの末裔から全スンナ派の庇護者,信教の首長としてのカリフの称号を譲り受け,スルタン・カリフ制が成立したが,ロードス島攻略を準備中に没した。彼は詩人としての側面もあり,学術にも関心をもち,史書を愛好した。…

【ヒラーファト運動】より

…第1次世界大戦後のイギリスの対トルコ政策,とくにイスラム国家最高主権者カリフの廃止をめぐり,カリフ制擁護を掲げてインド・ムスリムが立ち上がった反英闘争の一つ。アリー兄弟,アーザード,モハニらが結成したヒラーファトKhilāfat委員会に対して,この問題をヒンドゥー・ムスリム統一強化の好機とするガンディーは,国民会議派組織を挙げてこれに合流,自ら全インド・ヒラーファト委員会議長となる。…

【マリク】より

…〈支配者〉〈王〉を意味する語。コーランでは神あるいは異民族の王の呼称として用いられ,カリフも自らマリクを称することはなかった。しかしアッバース朝以後のウラマーによれば,ウマイヤ朝時代からのカリフは,たとい称号はカリフであっても,その実態は世俗的な君主(マリク)にすぎず,わずかにアッバース朝時代の何人かのカリフがイマームに必要とされる水準に達したとされた。…

【ワジール】より

…旧説では中世ペルシア語vishirの派生語で,ササン朝ペルシアの制度を借用したものと考えられていたが,アラビア語のワジールは元来〈補佐〉や〈重荷を負う者〉の意味をもっていて,それが〈君主の助力者〉というイラン思想と結びつき,アッバース朝に入って公的な肩書となった。アッバース家運動を推進してきたアブー・サラマが革命軍のホラーサーン軍から〈ムハンマド家のワジール〉という尊称を贈られたのが最初であるが,この時はまだカリフから任命されたのではなく,制度としても未熟であった。しかし,その後カリフ体制の中央集権化を図るうえから,ワジールはカリフの単なる補佐役から,しだいに代務者の役割を果たすようになり,やがて9世紀末近くなると,ほとんどすべての行政機関の統括者になるとともに,ときには各州の総督や税務長官,裁判官の任命権をも掌握し,カリフに代わって国政の全般を指揮した。…

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