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千夜一夜物語 センヤイチヤモノガタリ

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デジタル大辞泉の解説

せんやいちやものがたり【千夜一夜物語】

《原題、〈アラビアAlf laila wa laila》「アラビアンナイト」の本来のよび名。

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百科事典マイペディアの解説

千夜一夜物語【せんやいちやものがたり】

千一夜物語》,《アラビアン・ナイト》とも。アラビア語の説話集。インドペルシアの説話に起源し,ササン朝時代バフラビー語で書かれた《千物語》が8世紀後半アラビア語に訳されたものが原形とされ,16世紀ごろに集大成された。
→関連項目イスラム文化ジンシンドバッドバートンロック

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世界大百科事典 第2版の解説

せんやいちやものがたり【千夜一夜物語】

アラブ文学の古典的名作の一つで,原名は《アルフライラ・ワ・ライラAlf layla wa layla》。英訳名《アラビアン・ナイトArabian Nights》としても知られる。ササン朝時代にパフラビー語で書かれた《千物語》(ハザール・アフサーナ)はインド説話の影響の強いもので,一つの枠物語の中に多数の説話を入れたものであった。8世紀後半ころ,バグダードでアラビア語に訳され《アルフ・フラーファートAlf khurāfāt(千物語)》と呼ばれた。

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大辞林 第三版の解説

せんやいちやものがたり【千夜一夜物語】

アラビア・ペルシャ・インドなどの民話約二五〇を集めた説話集。九世紀頃の成立。大臣の娘シェエラザードが王に千一夜かかって物語る形式をとる。アラビアン-ナイト。千一夜物語。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

千夜一夜物語
せんやいちやものがたり
Alf laila wa laila

アラビア語で書かれた物語集成『アルフ・ライラ・ワ・ライラ』を直訳したのが『千夜一夜』で、正しくは『千一夜(物語)』。日本では英語式に『アラビアン・ナイト』Arabian Nightsともいわれる。[矢島文夫]

内容と成立

この物語集成の原典は内容を多少異にするものがいくつかあるが、いずれにも枠物語があり、また全体を1001の夜に分けているところからこの題名が出ている。枠物語の主人公はペルシアの王シャフリヤールと、大臣の賢い娘シェヘラザードである。妻の不貞を知ったシャフリヤール王は、毎日女を連れてこさせ、一夜をともにしてから翌日これを殺させた。シェヘラザードにその順番が回ってきたとき、彼女は王に世にも不思議な話を聴かせ、夜が明けるころになると、続きを聴きたければ明晩話しましょうと王に告げ、次々に話を続けて3年近くが過ぎた。この間にシェヘラザードは王の子を宿し、王の怒りも解けて、女たちを殺すことはなくなったというのである。
 こうした枠物語のなかに、おもなもので180ほどの長短の物語(ほかに支話が数十)がはめ込まれている。古いインド・ペルシア・ギリシア起源の物語に、後代のアラビアの物語が加えられ、その種類も幻想的な物語、恋愛物語、寓話(ぐうわ)、伝説、小話(こばなし)など、きわめて多様である。この物語集成の原型としては、中世ペルシアの『千物語』(ハザール・アフサーナ)との関係が古くから論じられている。10世紀のアラビアの著述家マスウーディーの『黄金の牧場』およびほぼ同時代のイブン・アン・ナディームの図書目録『アル・フィフリスト』中に、ペルシアの『千物語』がアラビア語に訳されて『千夜物語』とよばれたとあるからで、このころにこの物語集成の最古の部分ができあがったと思われる。そののち、これにアッバース朝下のバグダードを中心とする諸都市のカリフ(教主)・貴人・商人らの物語、ペルシア湾海港を基点とする航海者の外国土産(みやげ)の物語、さらにエジプトのカイロやアレクサンドリアを舞台とする物語、十字軍時代の物語などが次々に付け加えられ、15世紀ころに完成したと考えられる。[矢島文夫]

翻訳と影響

この物語集成が世界的に知られるようになったのは、フランスのオリエント学者アントアーヌ・ガランAntoine Galland(1646―1715)がこれを15世紀の写本からフランス語に翻訳し、1703~1713年に全12巻の『ミル・エ・ユンヌ・ニュイ』Mille et Une Nuit(千一夜)を刊行してからのことであった。彼はまたシリア人女性ハンナから聞き書きした物語もこれに入れたが、ここにはよく知られている『アリ・ババと四十人の盗賊』および『アラジンと不思議なランプ』が含まれている。ガランのこの翻訳は欧米で熱狂的に迎えられ、ここから各国語版がつくられた。こののちハビヒト版(1825~1843)、マックノーテン版(1839~1842)などのアラビア語原典が刊行され、これらから十数種に上る各国語への原典訳がつくられた。おもなものにレーン英訳(1838~1840)、ペイン英訳(1882~1884)、バートン英訳(1885~1888)、ヘニング独訳(1895~1897)、マルドリュス仏訳(1899~1904)などがあり、日本では前嶋信次(まえじましんじ)・池田修による原典訳(1966~1992)のほか、レーン版、バートン版、マルドリュス版の翻訳がある。
 前記のアリ・ババ、アラジンを主人公とするもののほか、船乗りシンドバッドの話も子供たちにおなじみだが、この物語は本来は大人向けのものであり、男女関係がかなり自由に描写されていることはよく知られている。他方、この物語集成の東方的ファンタジーは多くの芸術家を刺激した。ビアズリー、デュラック、ウーシンらが版画、イラストなどに腕を競い、ドラクロワやギュスターブ・モローらの絵画、リムスキー・コルサコフやストラビンスキーらの音楽に影響を及ぼし、この物語を扱った映画もたびたび制作されている。[矢島文夫]
『前嶋信次訳『アラビアン・ナイト1~12』(1966~81・平凡社・東洋文庫) ▽池田修訳『アラビアン・ナイト13・14』(1985、86・平凡社・東洋文庫) ▽大場正史訳『バートン版千夜一夜物語』全八巻(1966~67・河出書房新社) ▽豊島与志雄他訳(マルドリュス版)『完訳 千一夜物語』全13冊(1982~83・岩波書店)』

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世界大百科事典内の千夜一夜物語の言及

【アブー・ヌワース】より

…薬剤師を生業としていたが詩才が認められ,クーファ,バグダード,さらに遊牧民の間で教養を積む。宰相バクマク家を通してアッバース朝カリフのハールーン・アッラシード,次いでアミーン,マームーンの知遇を得,その深い親交は《千夜一夜物語》にも描かれている。詩はあらゆる領域にわたって秀逸であるが,とくに恋愛と酒の詩が名高い。…

【アラジン】より

…中国のある町に住む貧しい寡婦の不良児が,魔物を駆使するランプと指輪を手に入れたため,異常な出世をするという筋。18世紀初めフランスの東洋学者ガランAntoine Gallandが初めてその《千夜一夜物語》に収めてから広く世界に流布し,人気ある物語となった。日本では《アラジンと不思議なランプ》として知られる。…

【オリエンタリズム】より

…それは,18世紀宮廷文化における新奇なものへの憧れやナポレオンのエジプト遠征(1798‐99)に際して見られたような異文明の遺産の略奪という形態が,オリエント文化の本質的理解の妨げになっているのかもしれない。文学においては,ガランによる《千夜一夜物語》の翻訳(1704‐17),モンテスキューの《ペルシア人の手紙》(1721),ボルテールの《マホメット》(1741)などがその早い例で,啓蒙主義的文明批評のにおいが強かったが,しだいにエキゾティシズムに傾いてゆく。ユゴーの《東方詩集Orientales》(1829),ラマルティーヌの《東方紀行》(1835)などがロマン主義文学者による代表例である。…

【ガラン】より

…一時パリに戻り王立図書館古銭部に入ったが,再び1679年コルベールの命でド・ギュイラーグ新大使に随行してギリシアからトルコに入り,88年まで滞在し《メルキュール・ド・フランス》誌に〈コンスタンティノープル通信〉をたびたび寄稿した。1702年アカデミー・デ・ザンスクリプション会員となったガランは膨大な古銭学辞典を作り始める一方,ド・ギュイラーグの娘のために〈船乗りシンドバッド〉を訳し始めたが,印刷直前にこれが一大物語群《千夜一夜物語》の一部であることを知って印刷を延期,諸方に写本を求め,シリアからの写本により04年から出版し始めた。彼の没後も翻訳の出版は続けられ,17年に全12巻が完結。…

【児童文学】より

…しかし,いわゆる文化大革命によって,児童文学も停滞を余儀なくされたため,その後の近代化路線によってもその修復は大幅におくれ,中国の児童文学の再出発はようやく再開されたばかりといえる。
[アラビア]
 東洋が生みだした文学で,世界の児童文学に古典的地位を占める《千夜一夜物語(アラビアン・ナイト)》は,10世紀から15世紀にかけて成立したとみられるが,原型はペルシアの民話集であり,アラビア,インド,ユダヤ,エジプトなどの民話を集大成している。18世紀のヨーロッパに紹介されて,めずらしい夢みるような空想がよろこばれ,近代童話の発想にも影響するところが大きかった。…

【バートン】より

…またアラビアのメッカを訪れた(1853)もっとも初期のイギリス人の一人である。近東地方の諸言語を研究し,晩年は文学に傾倒,《アラビアン・ナイト》(《千夜一夜物語》)を原語から英訳した(全16巻,1885‐88)。この完訳は現在でも〈バートン版〉として知られている。…

【仏教文学】より

…次に,ジャータカ(本生話)は,釈迦が釈迦族の王子としてこの世に生をうける以前,天人,国王,大臣,長者,盗賊,あるいは兎,猿,象,孔雀などの姿で菩薩のすぐれた自己犠牲の行為を行ったことを物語る教訓説話で,その中には多くの民間説話,寓話,伝説がおさめられている。これは,経蔵中の〈クッダカ・ニカーヤ〉におさめられているが,他のインド文学の作品や《イソップ物語》《千夜一夜物語》にも共通する説話を保有する点で,世界文学史上においても重要な文献である。このほか,叙事詩形式のものとして,スリランカにおける仏教教団の歴史を描いた《ディーパバンサ》《マハーバンサ》をあげることができる。…

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