日本大百科全書(ニッポニカ) 「パヒキナサーリ条約」の意味・わかりやすい解説
パヒキナサーリ条約
ぱひきなさーりじょうやく
1323年、スウェーデンとノブゴロド公国との間に結ばれた国境に関する条約。ネーテボリ条約またはシュリュッセルブルク条約ともいう。パヒキナサーリPähkinäsaari(フィンランド語。スウェーデン語でネーテボリ、ロシア語ではシュリュッセルブルク)は条約締結地名で、現ロシア連邦ペトロクレポスティ市。
12~13世紀にバルト海東部地域はスウェーデン、ノブゴロド、ドイツ商人の勢力争いの的となった。フィンランドは、スウェーデンからの十字軍によりしだいにその勢力下に入り、フィン人内部でもスウェーデン支配下のハメ人とノブゴロド支配下のカレリア人は互いに抗争を繰り返していた。13世紀末にスウェーデンはフィンランド湾岸地域の支配権獲得を企て(「カレリア十字軍」とよばれる)、三十余年の長期戦となったが、この地域の商業に重大な利権をもつドイツ商人の仲裁により和平がなされ、パヒキナサーリ条約が成立した。これにより、スウェーデンはフィンランド湾北岸を手中にしたが、ネバ川河口とラドガ湖方面の東カレリアはノブゴロドの支配下に残った。また、ドイツ商人はネバ川流域への自由通行が保障された。カレリア地方は二分されたが、東西キリスト教世界の相克にいちおうの終止符が打たれ、条約は以後250年以上にわたって効力をもち続けた。
[玉生謙一]